《 第16話・堤町一丁目 》
  折り石の十三塚


    武士の例を弔った塚
    宝を守るための毒性か

 琴平山(別名・忠霊塔のある山)の南麓に、かつては「折り石」と呼ばれる大きな岩が見られました。この岩は、琴平山の山頂から少しずつ少しずつ、ずり降りてきたことから「降り石」と呼ばれ、やがて「折り石」となったとか。
 また、昔、相生村(現在の相生町)に行くときは、この岩を目当てに歩を進め、ここから左折(または右折)して赤岩の渡し場に向かったことから「折れ石」といわれ、後に「折り石」と呼ばれるようになったとか。
 この「折り石」の近くに、往事、十三の塚があり、土地の人々に「折り石の十三塚」と称されていました。塚は、天正元年(1573)に起こった桐生氏と由良氏(太田・金山)との合戦のおり、戦死した武士たちの遺骸(いがい)を埋めて、その霊を弔ったところでした。(一説には、桐生氏が、由良氏に内通した家臣を処刑して葬った、首塚だといわれています。)その十三塚に、昔からこんな話が伝えられてきています。
 塚の周囲は、ナラの樹の群生地でしたので、秋ともなると、センボンシメジやネズミタケなど、たくさんのキノコが出ました。見るからにおいしそうなキノコでした。けれども、近所の人たちはもちろんのこと、近隣の人たちでさえも、そのキノコを取ろうなんて考える人は、一人としてありませんでした。
 「塚の上に生えたものを取っちゃなんねえよ。間違ってでも取ったりすりゃあ、罰があたるからね。」
 「もし、それを取ってきて食べようものならば、たちまち毒にあたり血を吐いて死ぬハメになるそうな。」
 という言い伝えがあったからでした。
 中でも、
 「塚を覆うほどに生い茂るアシは、ことのほか毒性が強いので、絶対に口にしてはならない。」
 と、言われてきました。
 ところで、本宿(現在の元宿町)に啓助という男がいました。この啓助は、毒には大変強いことをいつも自慢している男でした。
 その啓助が、この話を耳にしますと、
 「ワシには、食えないものなんて一つとしてないぞ。たとえ十三塚のアシだとて、平気平気。」
 と豪語し、十三塚のアシを何本も刈り取って家に持ち帰り、早速料理を始めました。そして、回りの人たちが止めるのも聞かずに、村の衆の前で、そのアシ料理をさもうまそうに食べてみせました。しかし、啓助が「平気平気」と豪語していられたのは、ほんのわずかの間だけでした。たちまち猛烈な腹痛が、啓助を襲ってきたからでした。
 それからというもの、啓助は七日間にわたって七転八倒の苦しみを味わってしまいました。でも、幸いにして、どうやら命だけは失わずに済ますことができました。
 豪語していた時の啓助は、素晴らしく格幅(かっぷく)のよい若者でした。けれども、やっと猛烈な苦しみから解放されたときには、ゲッソリとほおがこけてしまい、
 「エッ? あれが啓助かね。」
 と、近所の人がビックリするほど、まるで別人のように変わってしまいました。
 さすがの啓助も、病いの床を離れたときは、
 「いやぁ、十三塚のアシだけは、ワシの手には負えん。もう、こりごりしたよ。」
 と、とうとう、かぶとを脱いでしまいました。

 この十三塚には、別に地元では「桐生氏の宝が埋蔵されている。」という、伝承もありました。
 そして、今もなお、
 「子供のころは、『あの山越えて この山越えて うるし千杯 朱千杯埋めた』と、塚の上を越えながら、よく歌ったもんですよ。」
 と、昔の遊びを懐かしむ古老がいて、その伝承のあったことの裏付けをしてくれます。それだけに、あるいは、十三塚の上に生える植物に毒性をもたせたのは、塚に眠る武士たちの霊が、毒でもって大事な「宝」を守ろうと図ったのかも知れません。
 この「折り石」のあった付近は、昭和五年の水道工事のために次々と切り崩されてしまい、往時の面影は、今は全く形跡もありません。もちろん、十三塚のキノコもアシも、そして「十三塚」さえも姿を消してしまいました。惜しいかな「折り石」そのものも、近年になって『危険』だからということで、これまた撤去されてしまいました。
 「宝」も「毒」も、そして「折り石」の存在も、すべてが、やがては昔々の物語になってしまうのでしょうか。

 

 《 折り石(おりいし)》
      折り石は、水道山の南口の手前の市道を西に進んだ、もと小島パン店近くの石垣上に見られた(本文中の写真参照)しかし、本文き記述したような理由から、昭和50年代(と記憶している)に撤去されてしまった。
      この石の上で天狗が「いい景色じゃ、いい景色じゃ」と羽うちわを持って、辺りの景色を眺めていたという伝承も地元には残されている。
    ◆道案内◆西幼稚園の脇から市道に沿って堤町方面へと歩むのが分かり易いと思う。西幼稚園からおよそ150メートル先に駐車場がある。その手前の小島光彦さん宅前の石垣の上が、かつて「折り石」があった場所である。

籾山高大
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