桐生タイムス1997年(平成9年)11月11日(火曜日)掲載
 

第2回ファッションウィークの一環として公開され、がぜん全国の注目の的になった「からくり人形」に関する新資料が、市内本町1丁目から出て来た。からくりがまだ水車で動いていた時代、明治35年と大正5年の「飾物一覧」で、紙にカラー印刷されたもの。保存状態もよく色彩鮮明で、往時の華やかさがしのばれるだけでなく、印刷史上の資料としても貴重だという。
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この「引き札」二種を保管していたのは、栗原茂樹さん(クリハラ商事代表取締役)。
明治37年の「桐生町営業便覧」には上市場(現在の本町1丁目買場通り)で観光繻子(しゅす)を扱っていた栗原亦五郎の名がある。茂樹さんのひいおじいさんに当たるこの人が、持っていたと思われる。
 明治35年の引き札は「桐生天満宮一千年祭飾物一覧」と書かれ、中央にしだれ桜のある天満宮境内が描かれ、木造の町役場と美和神社が円内に。周囲には宮本(天満宮)の「桃太郎」。常木の「二十四孝狐火」、西安楽士の「菅公」、そして1丁目から6丁目までの題材が細かく描かれている。印刷は桐生新町の巻島勝次郎で、七銭の定価で売られていたこともわかる。
 ほぼ同じサイズの大正5年の引き札はやはり巻島の印刷所「愛隣堂」によるもの。興味深いのは先に見つかった白絹地の引き札との相違点で、やはり紙版はあったが、中央上部の図柄が差し替えられている。絹地では天満宮を円内に収め、桐生町の略図を入れてどこでkららくりが演じられているか、わかるようになっている。また裏側には「桐生實勉強商店一覧」として44軒の広告を掲載。「スミドンヤ森下利八商店」「加納呉服店」「牛肉赤城亭」「割烹旅館桐生館金木屋」「萬銅鐵商奈良屋」などがある。
 からくり人形研究会の山鹿英助代表は「これで明治27年からの記録がつながった」と喜ぶ。天満宮の役員をつとめている栗原さんは「御開帳が行われなくなって36年たつが、天満宮ににぎわいを取り戻したい」と、先祖が残した資料に見入っていた。****

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