桐生タイムス1997年(平成9年)7月7日(月曜日)掲載

 天満宮の御開帳で各所に飾られ、水車や電気仕掛けで動いた「からくり人形」の復元を目指す運動がスタートした。6月21日に記録映画の上映と専門家の調査を受けて開かれた「語る夕べ」では「気絶するほど貴重な財産」という折り紙がつけられたが、技術的解明も埋もれている人形の発掘を進めつつ、水車の復活まで視野に入れた広がりのある復元を目指そうという機運が高まってきた。

 先月来桐して調査した宇野小四郎さん(日本人形センター前所長)は「江戸と直結した幻の竹田からくりの系譜を引くものが生きていたことに感激した。復元、復活は日本の芸能史上からもたいへん意義のあること。貴重な文化財が眠っている現状だが、市民のみなさんが行政と一体になって、復元の機運が盛り上が
ることを期待する」としており、国立科学博物館の鈴木一義さんともども、これからも協力してくれることになっている。
 人形は本町一、三、四丁目のもののほか、新たに天満宮にも昭和27年の「巌流島」、36年の「羽衣」が現存していることがわかり、全部で30体ほどが確認された。一丁目からは「義士討入」の背景である吉良邸も個人宅から見つかり、発掘にあたってきた山鹿英助さん(からくり人形研究会代表)は「ほかにも埋もれている人形や背景、文書などの資料があるはず。ぜひ情報提供してほしいし、いっしょに宝探しをしてくれる協力者を求めます」と“ラブコール”。
 昭和27年、五丁目で上演した「源氏物語(藤壷)」のからくりの図面を引いたという人も名乗り出ている。1922年生まれの石井実さん=桐生市新宿三丁目=で、当時は撚糸屋。大正時代までは水車を動力に糸をよっていたといい、水車は普通の大工ではなく「車大工」が製作したという。「源氏物語」はお色気のある場面もあり、肝心なとことで動きが止まってしまうことも間々あって、それがかえって人気を呼んで多くの人たちが楽しんだそうだ。
 一方、群馬大学工学部の教授、工学博士たちもそれぞれの専門文野から興味をもって参加してきた。機械システム工学科の新井雅隆教授は「昔どんな技術が応用されていたのか。人形は祭りの間だけもてばいいという設計思想で作られていただろうから、文化財として保存しなければならない。技術を解明し、レプリカをつくって動かすことも考えられる」。
 また五十嵐高元教授は「イギリスやドイツではからくりがコンピューターの原点。博物館などでもいつでも動かせる状態で展示し、子どもたちから興味がもてるようになっている。水車を復活させたいし、そのためにはかつて本町通りを流れていた水路まで復元できればいい。それが洪水対策にもなる。暗きょうのフタを開けよう」とまで提言した。
 具体的な復元方法などは今後調査を進めながら検討していくが、ファッションタウン推進協議会の生活文化委員会(粟田詔三委員長)も協力する。当面は10月31日のファッションタウン・サミット、11月1日からのファッション・ウイークに、有鄰館での展示を計画する。
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情報提供、協力の申し入れなどは山鹿さん(電話22-3374)へ。
 なお、からくり人形発掘の様子はNHKテレビの首都圏ニュースで、8日午後6時10分から放映されることになっている。

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