近代化遺産とは
近代化遺産は明治時代から昭和20年にいたる近代の産業・交通・土木などに関する建造物等が対象であるが、これまで十分な文化財的な保存措置がとられていなかった。そのためこれらの文化財的建造物も技術革新や産業構造の変革等によって、取り壊しや改変が急速に進行しているのが実状である。
近代化遺産建造物の保存措置を検討するため、群馬県教育委員会では国庫補助事業として、平成2年度化ら総括的な基礎資料を収集するための「群馬県近代化遺産総合調査」を実施し、平成3年3月に「群馬県近代化遺産総覧」として、1・2次調査の結果がまとめられた。それによると群馬県内においては982件が報告されたが、その内桐生市には約10%にあたる97件があり、群馬県では最も多いものとなった。現在でも独自の継続調査を実施しており、新たな発見がかなり認められている。
2.桐生市における近代化遺産
桐生は織物産業によって大きく発展してきた町である。とくに進取の気性に富んだ桐生においては、明治時代以降、明治22年に洋式織機を導入して織物の一貫生産を始めた日本織物株式会社に代表されるように、いちはやく近代化と取り組んでいる。そのため桐生の近代化遺産は、織物産業を基盤としたものが多く見られる。
織物産業を代表する建造物としては旧日本絹撚事務所棟を挙げることができるが、そのほか鋸屋根工場がある。野口三郎氏(市文化財調査委員)の調査では、昭和20年以降のもの含めればすでに300棟をこえる鋸屋根工場が市内で確認されており、桐生の特徴を端的に現している。
織物産業以外においては、重要文化財旧群馬県衛生所をはじめ群馬大学講堂や桐生倶楽部などの洋風建造物があり、宮本町に展開する昭和初期の和洋折衷住宅は住宅史上きわめて価値が高いと評価されている。
また、元宿浄水場における当初の施設と、関連する現西公民館である水道事務所や水道事務所や水道山記念館など、昭和7年の水道事業開業に係わる一群は、昭和初年における近代化遺産の貴重な違例となっている。