黒幣の天狗

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桐生から古く伝えられている民話を、
シリーズでご紹介いたします。


宮本町4丁目


梅田・川内両町境界を西南に走り、渡良瀬川に達する鳴神山丘陵の一つ「吾妻山」は、山頂に日本武尊(やまとたけるのみこと)(一説には弟橘姫(おとたちばなひめ))をまつり桐生市のシンボルとして市民に親しまれている。

この吾妻山(481・2メートル)にこんな話が残されている。

明治の初期のある日、その日は朝から青い空が広がって、実に気分爽快な日であった。しかも吾妻山の祭日とあって、早朝から山頂を目指す人の列が見られ、太陽の高まるにつれ、山道は想像以上の登山者で混雑していた。この賑わい振りが麓の町に伝えられると「わしらもお山へ行って、ご利益を分けて頂こうか」と腰を上げる人が出て、ますます混雑の度合を増していった。
この登山者のなかには、本町二丁目からやってきた男衆の一行も加わっていた。

「お天気がいいせいか、今日はやけに混むねぇ。この分じゃぁ、山頂には腰をおろす所もないだろうなぁ」
「まったくだ、それにしてもすごい人出だ。こんなにお山に登っちゃぁ町中には人がいなくなってしまうよ」
こんな話しをしながら、一行が吾妻山中腹の通称トンビ岩にさしかかった時である。たった今まで太陽が光り輝いていた青空が、一転して黒雲におおわれ、稲妻が走り雷鳴がとどろくと言う、あやしい様相に急変してしまったのである。
縦横に走る稲妻、耳をつんざく雷鳴に、登山者はせまい登山道を悲鳴をあげて逃げ惑い、あるいはその場にふるえて打ち伏した。

と、突然ひときわ鋭い閃光が人々の頭上を走った。その瞬間トンビ岩から大きな黒いものが、はじかれたように落下していった。それを機に暗雲は晴れ、山道には、また穏やかな明るい日差しがもどってきてくれた。

人々がホッと安堵の胸をなでおろした時であった。こんどは異様な悲鳴が人々の耳を強く打った。本町二丁目の男衆一行の一人が見当たらないと言うのである。
「もしや?」
人々は異変のさなかに、トンビ岩から落下して行った大きなもののあった事を思い出した。
男衆はもう登山どころではなかった。血相変えて落下地点と思われる山麓に向かって、ころげるように下って行った。そして、あたりを血まなこになって探しまわったが、不思議な事に、とうとう仲間の姿を見つけだす事が出来なかった。

付近の人々の協力もあって、その日から辺り一帯の捜索が連日行われた。そして、事件から三日後になってやっとヤブのなかに虫の息になり倒れていた男を見つけだした。しかし必死の介抱も空しく、助け出された男は不帰の客となってしまったのだ。

トンビ岩から落下した原因は、さっぱりわからなかった。わかった事は、あの日、亡くなった男が登山に用いたワラジが、死者の床掘りに使った不浄のワラジで、それが原因らしいと言うことだけだった。このため、「それを吾妻山の神が怒って、天狗に命じて男を投げ飛ばさせたに違いない」と人々はささやき合った。

この事件以後も、いつものように人々は吾妻山山頂を目指す登山を重ねた。でも、不浄な履物をはいて登る事だけは、決してしないよう、お互いに戒め合うようになったのである。

全山すっかり冬の支度を整えた吾妻山に、今日も多くの市民の登山姿が樹間に見え隠れしている。幸いその後、死亡者はもちろん、怪我人ひとり出た事を聞かない。不浄を戒める昔からの言い伝えが、今も守られているのかも知れない。


参考
吾妻山(あずまやま)

市街地からは、どこからでも吾妻山を望む事ができ、市民の登山で四季を通じて賑わっている。
山形が四阿(あずまや)の姿形をしていることから、この名が起こったものといわれている。
登山口は四条あるが、川内町の吾妻沢道が本道で、村松沢、光明寺沢、小倉峠からの尾根伝い登山が知られる。山麓に吾妻公園がある事から、ここでの見学がてら登山する人も多い。

郷土史研究家 清水義男氏著「黒幣の天狗」より抜粋
写真撮影 小川広夫  ホームページ作成 斉藤茂子

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