財団法人 大川美術館     OKAWA MUSEUM of ART, KIRYU

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「源流・山口薫」展によせて 大川 栄二

 私が山口薫の絵を知ったのは、昭和36年頃、銀座の兜屋画廊で小品の「牛」、10号大の菱形の「雪景」を見たときである。この記憶は今も鮮明に覚えている。だがあく迄在野的姿勢で、あれ程地味な画家なのに、何故か当時、既に画壇に花々しく登場し宮本三郎、小磯良平、小絲源太郎等の流行画家並の高値にあり、サラリーマンの私には一寸手が出なかったのであった。

 あれ程甘いのに
 何故 あんなに美しいのだ
 そしてあきない。
 自然に培はれた人間の暖かさ、恋しさ、
 哀しさ、厳しさが融け合った
 ヒューマニズムなのだろう。

 この拙詩は、往時私の蒐集主軸画家・松本竣介に捧げたものだが、今そのまま山口薫に捧げられる。とにかく資力に乏しいサラリーマンにはこの二画家を追い続けられる筈もなく、結局当時、値段が丁度半値にも満たなかった竣介に集中して仕舞ったのだが、山口薫は同郷と謂う親しさとは別に私の好きな最右翼の画家であった。

 幸いにしてそれから10年後の昭和47年頃、当時大阪梅田にあった潟_イエーの青空駐車場に、この山口薫の幻の大作「着物の十字架」100号(今回特別出品)が、私の眼前に突如としてそそり立ったのであった。故大橋嘉一氏(東京芸術大学・大橋賞オーナー、大コレクター)が私に買って貰いたいと何の前触れもなく持参したのである。

   この時の逐一は館報「ガス燈」に詳述しているので省略するが、山口薫のコレクター達も驚く程スケールの大きい作品であり、第6回モダンアート展からそのまま大橋氏が買取り、お蔵入りさせていた幻の異色作だったのである。

  この作品は叙情的と謂うよりは、むしろ山口初期の代表作「紐」1937年(今回出品、群馬県立近代美術館蔵)の線への郷愁が発展したものと云われ、そして切り刻まれた着物の十字架に全滅したキリシタンの清らかな祈りが醸し出されている。たまたま来館せる画家・脇田和氏をして「にくい」と慟哭させた中央の大きな黒の斑点は、山口芸術の無限の深淵を覗いた思いだったのだろう。

   赤城、榛名、妙義及び浅間と上州の名山総てが臨める田園に育ち、牛、馬、沼、川、田など何の変哲もない自然の営みを、あれ程美しく厳しい深淵なものとして捉えた画家を私は他に識らない。

  とにかく彼の絵は詩そのものであり、その強いリリシズム故に矮小化する専門家すら居るが、ヨーロッパのイミテーションでない日本人しか描けぬ様式美を漂わせた国際画家として歴史的に浮上し続けるだろう。

 何れにせよ、この事は竣介追求の為、諦め埋没した私の山口への想いを一気に浮上させ、この大作一点で満足、大橋氏に心から感謝したものである。

 今回の源流展シリーズは、世田谷のボロ市で発掘した清水登之・小学生時代のデッサン100点入手を契機に、当館オープン直後より当館独自の企画としてプリミティブ乍ら画家の人間形成の土壌を示すものとして始めた企画であり、望外に好評のようである。そして今日迄、青木繁小品展、茂田井武トン・パリ展等々、私立美術館の身軽さを生かし継続してきている。

 即ち今回の群馬県立近代美術館の現代美術棟増築に伴う閉館期を利用してのご好意に甘え便乗企画せる独立展なのである。初期の中学時代絵日記から38才の終戦迄の作品に絞り、源流を模索するユニークな切口から何が生まれるか、学芸員達の研鑽に期待したいものである。

 末筆失礼乍ら、本展に望外なご協力を賜りましたる群馬県立近代美術館、及びに所蔵家の方々に深く感謝する次第であります。 (理事長 兼 館長)


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