「顔」というモチーフの魅力 岡 義明
一口に「顔」、今回の展覧会名である。副題は「人生の軌跡」。
この企画は発案当初から、わりに展覧会の方向性は明確に捉えていた。豊富な当館収蔵品をベースとし、昨年好評を博した「生命の讃歌・the裸婦展」に次ぐ、モチーフ(表現する題材)分けによるテーマ展示の第二弾である。当館のコレクションはハッキリとした方向性、つまり特定の画家を中心とした人脈図的な系統立てをもって、これまで蒐集を続けてきている。今展はこれを「袈裟斬りにバッサリ」といった視点といえよう。
そしてその太刀筋とは「顔を描いた作品」という処である。「顔」は絵の道を志す者が、必ずや一度は興味を魅かれるモチーフであり、また生涯これにのめり込んでしまう程の、可能性豊かなモチーフと捉えたからである。しかしいざ展覧会名を決める段となり、企画者は実は四苦八苦した。「人物画」と言うと余りに平板である。「肖像画」と言うのも、どうもピンとこない。
今展で捉えようとしている「顔」の範囲は「人物、特に顔辺りを中心とした画像であり、またその作者による主観的な抽象解釈までも充分にその範疇とするもの」と考えた為である。結局は「顔」という、ある意味でざっくばらん、感覚的な一言に落ち着いた訳であるが、どうやらここら辺りにこの企画の魅力自体が隠されていたようである。しかし先史以来、永い美術史の流れの中であまりに数多く追求されており、今尚その発展を続けているモチーフである。簡単にいく筈もない。
よって遅蒔きながら、少しは昔のことを勉強してみた。
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「顔」は「人類の美術史と共にその発達の歩みを遂げてきた」と申し上げても過言ではない。太古の昔、文明が芽生える以前から、どんな粗末なものであったにせよ(例えば石に刻まれた小像など、図1)その創造主である人は自らの形を物体に留めてきた。これらは当時の狩猟呪術に使われた道具と解釈され、現在考える「表現」「作品」という代物とは異なった意味で作られたと考えられている。しかし少なくとも紀元前1万年以上の昔から、人は人の形を模した創造物を作ってきたのである。
やがて文明の発祥となる紀元前4世紀頃、皆さんも歴史の教科書で習った古代オリエントの時代になると、現在数多く目にする事の出来る絵画・彫刻の類が登場し、この中で人体や顔を表した作例もまた数多く確認可能となってくるのである。最初の文明と呼ばれるユーフラテスのシュメール文明。そして体は正面なのに顔は必ず横を向いているという(私には不思議な)エジプト絵画など。ここに至り人体表現もそれまでの棒切れを結び合わせたようなものから、肉感も付き髪や指まで細かく描写された、やっと人間らしい形が見られるようになる。この時代に個人として記録された者達は無論、権力者をおいて他にはない。また一緒に描かれはしたが、その他大勢の名も無い人達は、その他大勢の人らしく、顔も形も均一な無表情であり、どれをどう見ても誰が誰だか判らない。しかし権力者に至ってもまた顔は同様に類型化された均一の表情となっており、身に付けている冠や衣装その立ち位置などからやっとその違いが確認出来るのみである(図2)。これは当時の権力者が王や高貴な人物であった為、この人物像を理想化し人間臭さを排除しようという意味もあったようだ。つまりこれらのどの顔に注目しようが、全くおもしろくもなんともない表情となっているのである。この時代の顔は決して表情を湛える事なく、単なる顔としての「記号」といえよう。つまり何を申し上げたいかというと、ただ顔が描かれているのでは当企画の考える「顔」にはならないという事である。歴史的に考えてみると顔が「顔」らしくなっていくのはこれからずっと後、14〜16世紀のルネサンス時代まで待たなければならない。このルネサンスの時代をごく簡単にいうなら、それまでの超人的な世界、理想的な人間像から、もっと自分とその周囲へと現実の視点を移して行った、となる。よってここで結論めいてしまうが、顔が「顔」である為には、顔の絵の中に「自我の意識」が絶対に必要という事である。
ちなみに日本に於ける「顔」の萌芽は、鎌倉期(13世紀頃)の「似絵」という肖像画であるといえよう(図3)。しかし人間的表情を湛えた確かな「顔」としての時期は、やはり明治期の洋画導入の頃からとしたい。この導入を単にリアルな描写技法の輸入だけとせず、同時に入ってきた西洋的自我意識と個性至上主義をも含めて考えるからである。よって当展の出品はこの時代以降のものをターゲットとしている。
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そして「顔」は現代の画家にとっても、未だ変わらず重要なモチーフであり、今日その表現は実に様々で多岐に渡っているといえよう。例えば・・・・ある特定の人物であるモデルの個性を率直に引き出し描写した写実的な表現しかり。更にここに作者の主観的デフォルメを加えたもの。中には敢えて顔を描かずにその強い存在感を引き出すもの、つまり見えないものまで見せようという作品もある。そして画家自身が自己の内面に鋭い眼差しを向けた自画像も忘れてはならない。
今展では、従来こういった類の展覧会で行なわれてきた油彩・版画等の技法による分類は避け、上記のようないわゆる「表現の視点」に則った作品紹介を試みている。出品作品は19世紀から現代までの近現代美術であり、これら71点を以下4つのセクションに分け企画してみた。
・T【顔は、人の印象となる。】
・U【顔は、人の内面を抉る。】
・V【顔は、象徴的に語りかける。】
・W【顔と自問する。・・・・自画像】
ここでお断わりしておきたいのだが、ひとつの絵、ひとつの作品は、実に様々な表現や記号的な意味など、諸々の要素が渾然一体となり、ひとつの人格の如く存在しているという事である。更に作品に接する時、興味を引く所、評価すべき点は人それぞれにあるという事も付け加えたい。また見方、感じ方、捉え方の違いが、より絵を生かす原動力である事も全く否定するものではない。つまり今回は当館流の表現からの視点を尊重している訳であるが、これは作品紹介のひとつの試みであり、その総てではないという事を念頭に置いて頂きたいのである。
それからもうひとつ、今展発案のきっかけとなった事として石井壬子夫、秀島由己男、鈴木満、ベン・シャーンの名を上げたい。この4人は全て当館企画展として既に紹介しているが、彼らの共通点はいうまでもなく「顔」という表現への拘りである。更に考えていくと、当館には顔や人をテーマとした作品が多いように思う。曽宮一念などの風景画家は、むしろ珍しい部類といえるかもしれない。これは当館の哲学「絵は人格である」という言葉が、作品蒐集の基本原則となっているという点がひとつ。そしてもっと基本的な事実として、「顔」というモチーフが画家を陶酔させるまでに魅力的なモチーフであるという事の客観的証明という点が考えられよう。多分その何れでもあるのだろうが。
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次に分類上の考え方を各々記してみたい。
Tの「顔は、人の印象となる。」で紹介している作品は、副題の「人生の軌跡」そのままに、人、個人個人の持つ個性や哲学、それまでの人生の変遷などが刻まれている顔の表情を作画の主体的イメージとして、素直に描写したものを集めている。これらには「肖像画」という言葉が一番近そうだ。しかしモデルを写したものならば「似顔絵」もある。その違いは、作者側からモデルへと放たれる尊厳や愛着などの崇高な感情が、画面に生き生きと表れているかという点、つまり画面の品格の差であろう。個々の作品を見て頂ければ判る。揺るぎない自信と厳格さを表情に湛えた師に対し、熱い尊敬の眼差しを向けたジョン・スローン(No.T-3)。また加賀孝一郎(No.T-9)関野*一郎(No.T-15)などにも偉大な師に対する憧れの気持ちが切々と見て取れる。また寺田竹雄(No.T-13)には無垢な子供達へと向けられた手放しの優しい眼差しが感じられる。こんなほのぼのとした表情を作者に返せるモデル達は、きっと身内の人であったろうと思わせる。写真家・安斎重男(No.T-18)がライフワークとして追い続けた彫刻家イサム・ノグチの顔。この作者とモデルは共に作家魂の持ち主である。その間に繰り広げられる葛藤とせめぎ合いがこの作品の魅力となっているのである。
「顔」作品の基本は、モデルと作者の共同作業である。特にTのものは、モデルの人間的魅力が作画の発端となり、作者がそれを表現の中心にすえて完成する事から、画面には二人分の4つの目が描かれているといえるのだ。そして作画は作者とモデルの葛藤の時間、そしてその記録が作品であるともいえよう。
Uは「顔は、人の内面を抉る。」である。Tで考えたモデルの個性を尊重する事を基本としながらも、更に作者からより一歩踏み込んだ表現といえるだろう。ここでは目に写る形を、感覚的に変形または強調するデフォルメが技法として定番となろう。皮肉たっぷりに政治屋を表現したベルナルト・ロメイン(No.U-6)。唸り上がる音色に自らが陶酔するヴァイオリニストを描いた恩地孝四郎(No.U-5)。思い切った筆の決め方で、強い意志と飽くなき闘争心をガッチリと目に語らせる野田英夫(No.U-15)。そして極度に神経質なモデルの個性を、無駄のない端的な線で描くベン・シャーン(No.U-8)など。これらは作者側から仕掛けた積極的な内面性の摘出といえるだろう。しかしデフォルメばかりが内面性の追求方法ではない。テオドール・ジェリコー(No.U-1)に見られるような徹底した描写作業や、石井壬子夫(No.U-16)に見られるような4人の登場人物の関係性に個人の内面性を求める作品。また心象の世界に生きる人物像をモデルとした大島哲以(No.U-18)なども内面性の追求方法と考えている。大島作品に描かれた外した仮面の更に下に現われた強烈な真実の顔、これなどは引用的表現として捉えたい。
Vの「顔は、象徴的に語りかける。」では、ひとつの素材として顔を利用し、あろうはずのない個人の人格や、概念としての存在感を表した作品などを紹介している。これらの作品はTやUで紹介した特定の人物像から作画するのではなく、イメージやコンセプトを中心に画面を立ち上げてくる場合が多いと考えられる。つまり先に作者の心象に人間観があり、これを表現する手段として「顔」を利用したという性格が強い。マックス・エルンスト(No.V-3)やアントニ・クラベ(No.V-11)、深沢幸雄(No.V-17)などがここでは注目出来よう。また実在することのない架空の人間像である神の描写(宗教家の方には失礼かもしれないが)などもここでは扱っている。マルク・シャガール(No.V-1)、加賀孝一郎(No.V-5)などをその作例と考えている。またあえて顔を描かずして強い存在感と鑑賞者自在な顔の表情を語らせる菅野恵介(No.V-9)の作品。変わった処では特定の個人を作品名に扱いながらも全く顔を描写するのでもなく、逆に象徴的方向性の積極的簡略化や純粋抽象的表現の中で処理している作品がある。イサム・ノグチ(No.V-7)や池田満寿夫(No.V-20)などがそうだ。
Wは「顔と自問する・・・自画像」である。作者自身がモデルをも務める自画像は、換言するなら表現者が表現者を表現するということである。これはもう全くのメビウスの輪状態の行為となろう。つまりモデルが他者であるなら、ある狙い定めた視点で割り切りその方向性を保ちつつ試行錯誤を繰り返しながら作品の完成を求める事となる。しかしモデル、イコール、自分自身という状態は大変な矛盾がある。元来が変化を続けている精神と肉体を自覚として直接受け止めつつ、かつ大変な理想的境地(とかく画家がそうであるように)を追い求めているという諸々の思考が、総てひとつの人格に存在するという事である。つまり「あなたは私」「私はだれ」という処で作画が進行していくのである。よって対象は他の誰よりも身近なモデルであるのに、それがゆえに完全な客観性の発見は至極困難で、作者の方向性の確定的要素を捉えにくいという事になるのである。完全な自分自身の姿が、全くの矛盾なく自覚出来ている、いわば悟りも開いた賢者なら申し分ない。しかし一般的にはなかなか無理な注文だ。だからこそ逆に、こんな矛盾を形にする自画像だから至極面白い結果を生むともいえるのだろう。
自画像を多数描いた画家の一人に、炎の画家・ファン・ゴッホの名が挙げられる。その中でも彼が自分の耳を切り取った時に描かれた《耳を切った自画像》(図3)は有名だが、これに付いて少し間抜けな話がある。過去のゴッホに関する資料には、彼が切り取ったのは右の耳と記されていた事だ。これは現在は左耳と訂正されているが、間違いの原因は至って簡単である。ゴッホはこの絵を描いた時、鏡を用いたからだ。画家が自画像を描く時、写真を応用する事もあるが、殆どは手軽でかつ自分が自由に動く事の出来る鏡を利用することが多い。ゴッホの研究は単なる勘違いですむが、これが実際の自画像制作となると考えなければならない事がある。つまり誰でも自らの顔は、自分の裸眼で決して見るのが不可能という事である。これは鏡の世界が単に左右反対となっているだけの話ではない。つまり作者として目の前のモデルを裸眼で見ている場合とは感受する面でも大きく違ってくるという事である。よって自画像とは物理的な事からも単に写すという行為とはなりえず、ここに大いに表現者としての意識の介入が可能となるのである。・・・・・・しかしこんな理屈を捏ねようが、実の処「画家達はこんな事は一切物ともせず、完全なる自我意識の形成と自己存在の主張を強烈に自画像に求めていく」というのが結論である。
このセクションで注目したい作品は様々あるが、私の個人的に好きな作品としては南城一夫(No.W-4)、松本竣介(No.W-9)などが挙げられよう。また後で詳しく記すが、石井壬子夫(No.W-10)に見られる尋常でない自己凝視への拘りは、敢えて特筆に値すると申し添えておきたい。
* * 今展出品より数点を紹介する。
◎清水登之《育夫像(絶筆)》 (No.T-6)
二十歳の時に渡米した清水は20年近くをアメリカで暮らし、激しい人種差別と苦しい生活の中から自力で画家としての道を切り開いた。この逆境に耐え抜けたのも、誰あろう彼には家族である妻子がいたからであった。そして帰国後、長男の育夫は、父が少年時代から憧れていた夢、軍人となったのである。父親の喜びと期待はどんなに大きかっただろうか。しかし戦時下の昭和19年、育夫は戦艦・金剛に乗り込み24歳の若さで戦死するのであった。予想しえない悲しみに打ち拉がれた彼は、息子の遺影を自らの手で画面に塗り込めるという事でこの気持ちを昇華しようとした。しかも履歴書の無い息子の為に作品の裏面にこれを書いて・・・・・・。しかしこの事で自らをも憔悴仕切らせ、結局命を落とす事となる清水であった。
◎国吉康雄《カーニバル》 (No.V-2)
渡米から30年を経てアメリカの画家と認められた国吉、彼の最晩年の作品である。この1947〜48年にかけて彼はアメリカで最も卓越し秀でた画家のひとりとして取り上げられ、著しい評価を受けていた。アメリカ芸術家組合の初代会長に就任し、ウィトニー美術館における現存者で最初の個展が開催されたのもちょうどこの頃である。しかしそんな華やかな栄光を少しも感じさせないこの作品はどうだろう。一見楽しく滑稽じみてはいるが、見せかけの陽気さの中に暗示的な悲劇の仮面が存在しているように思われる。彼の芸術は最初から最後まで、アメリカで育まれ、発展し、評価された。しかし17歳で渡米した直後から始まった日本人としての人種差別、その苦しみの中での画家としての一歩また一歩。そして大きな運命と試練であった日米開戦時の敵国民としての扱い。しかしここでも彼は、自分の信じる自由主義、民主主義を守るために日本帝国主義に対する反日ポスターまで描いたという。しかし宿願であったアメリカ国籍を、彼はついに手にする事なくこの世を去ったのであった。国吉は日本人とも、アメリカ人とも、どちらとも異なる人生を送った画家であったのだ。
◎石井壬子夫《自己像》 (No.W-10)
当館ではこれまでに石井の企画展を2度行なっている。一部の者を除き全く無名といっていい彼をここまで扱っている訳は、「絵は人格である」とする当館自体の哲学に他ならない。無論彼の絵が画品を備えた秀作である事に間違いはないが、それ以上に馬鹿が付く程の生真面目さに惚れた為ともいえるだろう。東京美術学校を卒業し永く美術教員を勤めていた彼は、定年を目前にして退職し再度、美術学校に入学し直す。美校が師範科卒であり、本格的な勉強をしていなかったのが理由であったという。また彼は戦時中、子供を指導する教員として過ごしたという消化仕切れない気持ちを終生持ち続け、晩年ヒロシマに取材した作品を多数描いた。心の奥に潜んだ自責の念がそうさせたのであろう。そして何といっても目を引くのが、没するまでの約20年間に「一日不描、一日不食」と自らを戒め、毎日欠かさず描き続けた自画像デッサンの存在である。これらを彼は「自画像」ではなく「自己像」と呼んでいた。ゆうに6000枚を越えるものと思われるこの作品群、決してマンネリ化することなく描き続けられたこの自己像を生む原動力は一体何だったのか。画面に描かれた彼の瞳が真っすぐに総てを語ってくれている。
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目の前のモデル、心に浮かび上がる得体の知れない人物像、そして自らの顔、画家は永々として「顔」を描き続けてきた。彼らはそのいずれの対象にも、常に自我の意識を照らし合わせ描き続けてきたのだ。顔を「顔」とする為に・・・・・・。そしてこれまでもそうであったように、彼らが顔によせる想いは、芸術を生む創造主が人間である限り決して尽きる事はない。つまり1枚の「顔」の絵の中に繰り広げられた自我との激しい葛藤のドラマもまた、これからもたゆまず続いていくのである。
(学芸課長)