財団法人 大川美術館     OKAWA MUSEUM of ART, KIRYU

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 西 暦 
(元号)
年齢
  
             事 項
 

 1906年 
(明治39)
     
     
 1913年 
(大正 2)
     
 1920年 
(大正 9)
     
     
 1925年 
(大正14)
     
     
     
     
 1930年 
(昭和 5)
     
     
     
 1934年 
(昭和 9)
     
 1935年 
(昭和10)
     
 1936年 
(昭和11)
     
     
 1937年 
(昭和12)
     
 1938年 
(昭和13)
     
 1939年 
(昭和14)
     
 1941年 
(昭和16)
     
 1942年 
(昭和17)
     
 1945年 
(昭和20)
    
 1946年 
(昭和21)
     
     
 1947年 
(昭和22)
     
 1948年 
(昭和23)
     
 1950年 
(昭和25)
     
     
     
     
 1952年 
(昭和27)
     
     
     
 1953年 
(昭和28)
     
 1955年 
(昭和30)
     
     
     
     
 1956年 
(昭和31)
     
     
     
     
 1957年 
(昭和32)
     
     
     
 1958年 
(昭和33)
     
     
     
     
     
     
 1959年 
(昭和34)
     
     
     
     
     
     
 1960年 
(昭和35)
     
     
     
     
     
     
 1961年 
(昭和36)
     
     
     
     
     
     
     
     
     
 1962年 
(昭和37)
     
     
     
     
 1963年 
(昭和38)
     
     
     
     
     
     
 1964年 
(昭和39)
     
     
     
     
     
     
 1965年 
(昭和40)
     
     
     
     
     
 

  
 
  
  
7歳
  
  
14歳
  
  
  
19歳
  
  
  
  
  
24歳
  
  
  
  
28歳
  
  
29歳
  
  
30歳
  
  
  
31歳
  
  
32歳
  
  
33歳
  
  
35歳
  
  
36歳
  
  
39歳
  
  
40歳
  
  
  
41歳
  
  
42歳
  
  
44歳
  
  
  
  
  
46歳
  
  
  
  
47歳
  
  
49歳
  
  
  
  
  
50歳
  
  
  
  
  
51歳
  
  
  
  
52歳
  
  
  
  
  
  
  
53歳
  
  
  
  
  
  
  
54歳
  
  
  
  
  
  
  
55歳
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
56歳
  
  
  
  
  
57歳
  
  
  
  
  
  
  

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 
6月1日、父・傳三郎、母・つね、の二男として石川県石川郡美川町
字湊町に生まれる。父は山下汽船という会社で貿易船(国内貿易帆船
)の船長をしていた。また後に独立したらしい。

4月、石川県能美郡湊尋常小学校に入学。


3月、小学校を卒業。4月、東京私立郁文館中学校に入学。この頃、
石川県の浜辺の葦簀(砂除け)に自作を掛け、初めての個展を行ない、村中で評判となる。

3月、中学校を卒業。4月、東京美術学校(現在の東京芸大)日本画
科に合格。家族には一橋大学合格と偽って通学、また学資は地元(石
川県)の友人が面倒をみてくれた。教授であった結城素明に師事し、
ここで日本画に洋画的表現を融合させることを学んだ。同級に小松益
喜がいた。

3月、東京美術学校卒業。出席しても意味がないと思い卒業式には出
ないつもりだったが、友人が迎えにきて出席、式では総代であった(
川端奨学資金賞を受賞)。卒業後は日本画家・長沢の元でアルバイト
をし生計をたてる。

埜村タケ(武子)と結婚する。


長女・晶子、誕生。


6〜10月、北支蒙疆(中国大陸)に渡る。9月7〜8日、荒尾昌朔日
本画個人展覧会(北京飯店)を開催し21点を出品する。同年10月〜19
38年10月、北京国立美術学校の教授を務める。

6月1〜6日、第12回東台邦画展覧会(日本橋 白木屋)に「白畫夢
」を出品。

長男・純、誕生。この頃“フジコウ”(詳細は不明)にて水着デザイ
ンの仕事をする。画家・深沢省三、紅子夫妻と親交する。

4月22日〜5月7日、第1回日本画院展覧会(東京府美術館)に「陽
影」を出品。

事業に成功した兄・英三の支援により、東京から兵庫県西宮市に転居
する。

5月15日、兵庫県西宮市立甲東国民学校の教師となる。


11月30日、本人の意志により甲東国民学校の教師をやめる。


3月1〜31日、第1回日本美術展覧会(東京都美術館)に「立春」を
出品。10月16日〜11月20日、第2回日本美術展覧会(東京都美術館)
に出品(作品名不詳)。この頃、大阪市展に「兎」を出品。

同年5月〜1949年12月、アメリカ進駐軍第八軍美術特許事務所を許可
され海外へ日本画の紹介をはかる。

6月30日、兵庫県西宮市立高木小学校の図工科専任教師となり没年ま
で続ける。

9月22日〜10月8日、第3回創造美術展(東京都美術館)に「窓(朝
)」を出品。この頃、創造美術展に「フクロと少女」を、また創造美
術展・春期展に「森の夜」を出品(年代不詳)。
*この頃より純日本画的であった作風は、フォーヴィスム的傾向へと
移る。

9月21日〜10月7日、第16回新制作協会展(東京都美術館)に「池畔
」を出品。この頃、新制作協会展に「鳥篭と花と女」「食後」「終電
車」「街」を、また新制作協会展・春期に「食後」を出品(年代不詳
)。

9月21日〜10月7日、第17回新制作協会展(東京都美術館)に「港の
人々」を出品。

5月、新美術協会会員となる。6月22日〜30日、第2回新美術協会展
覧会(大阪市立美術館)に「曲馬団(團)の娘達(たち)」「二人」
「風琵」「夜の唄」を出品。11月29日〜12月4日、第2回新美術協会
会員展(上野 松阪屋)に「山の生」「二人」を出品。
*この頃より作風は、野太い独自の具象表現となる。

3月24〜29日、第1回新美術協会小品展(大阪 三越)に「梅咲く丘
」を出品。6月2日〜10日、第3回新美術協会展覧会(大阪市立美術
館)に「捕鳥」「竹林」を出品。この頃、松谷武判と知合い、以降、
1964年に荒尾が亡くなるまで頻繁に親交を結ぶ事となる。松谷が後に
具体美術家協会に入ったのも荒尾の勧めによるものである。

6月、第4回新美術協会展覧会(2〜10日、大阪市立美術館 12〜16
日、神戸新聞会館)に「街の月」「田園の月」を出品。8月20〜25日
、第3回新美術協会会員展(渋谷 東横)に「白い月(街の月)」「
月夜(田園の月)」を出品。

1月25日〜2月16日、第8回関西綜合美術展(大阪市立美術館)に「
狩」を出品し受賞(賞名不詳)。5月1〜24日、国画会に所属する妻
・武子(油彩)と二人展(兵庫県庁県民室)を開催し「花と白い鳥」
「月に吹く」他を出品する。6月、第5回新美術協会展覧会(14〜25
日、大阪市立美術館 28日〜7月3日、神戸 三越)に「氷る」を出
品。10月27日〜11月2日、第2回新美術協会小品展(大阪画廊)に出
品(作品名不詳)。

5〜8月、第9回新興美術院展覧会(5月10〜23日、東京都美術館 
8月3〜12日、大丸)に「氷紋」を初出品、準会員に推挙される。6
月2〜10日、第8回兵庫県日本画家連盟展(市立神戸美術館)に出品
(作品名不詳)。7月、第6回新美術協会展覧会(11〜20日、大阪市
立美術館 25〜30日、神戸 三越)に「彩馬」「負う」を出品。10月
2〜5日、新興美術院秋季展に出品(作品名不詳)。
*この頃より作風は、具象と抽象の共存するものとなる。

2月23〜28日、第4回新美術協会会員展(渋谷 東横)に「彩馬」「
翔」を出品。4月、作品が『兵庫教育』の表紙絵に採用される。5月
31日〜6月13日、再興十周年記念・新興美術院展覧会(東京都美術館
)に「渡鳥」「雨蝶」「映」を出品、会員に推挙される。8月〜9月
、第7回新美術協会展覧会(8月31日〜9月5日、大阪市立美術館 
9月17〜25日、市立神戸美術館)に「鳥塊」を出品。この頃、第1回
新興美術19人展(村松画廊)に「呀」を出品。

6月1〜13日、第11回新興美術院展覧会(東京都美術館)に「残」「
瞬」「対」を出品、8月、新興美術院理事となる。6月〜9月、第8
回新美術協会展覧会(6月28日〜7月3日、東京都美術館 8月8〜
14、大阪市立美術館日 9月1〜10日、市立神戸美術館)に「墜」「
噎(エイ)」「瞬」を出品。11月10〜19日、新興美術院小品展(銀座
・松屋)に「紅鶴」「顔」を出品。この頃、上田臥牛、山本政雄、佐
藤恵一、関川都とともに5人展(銀座 養清堂画廊、62層日本画展の
母胎)を開催し「因」「相」を出品する。11月、62層日本画展(大丸
東京店)に出品(作品名不詳)。またこの頃、県展に「山貎」を出品
する。

2月8〜13日、62層日本画展(大丸東京店)に「飾虹」「化綾」を出
品。5月24日〜6月5日、第12回新興美術院展覧会(東京都美術館)
に「緑嵐」を出品。6〜9月、第9回新美術協会展覧会(6月23日〜
7月3日、東京都美術館 8月4〜10日、大阪市立美術館 9月1〜
9日、市立神戸美術館)に「翠」を出品。

6月、第13回新興美術院展覧会(7〜19日、東京都美術館 22〜24日
、大阪市立美術館)に「驟雨」を出品。6〜7月、第10回新美術協会
展覧会(6月18〜28日、東京都美術館 7月10〜15日、大阪市立美術
館 7月20〜28日、市立神戸美術館)に「空間の画鋲」「恋愛からの
発展」「占象作品A」「滴勢作品B」を出品。秋、62層日本画展に「
錆びた紋章」を出品。
*この頃より作風は、完全な抽象的表現となる。

6〜7月、第11回新美術協会展覧会(6月18〜28日、東京都美術館 
7月10〜15日、大阪市立美術館 7月20〜26日、市立神戸美術館)に
「コルサマキの假面」「かきば虫の虚構」「馬狂紋」「鳥狂紋」を出
品。6月23日、勤務先の西宮市立高木小学校へ自転車にて出勤途中、
踏切事故(阪急電車)にて死去する。享年58歳。
10月20〜25日、荒尾昌朔・荒尾武子・二人展(西宮市 ちくさや画廊
)を開催する。

6〜7月、第12回新美術協会展覧会(6月18〜28日、東京都美術館 
7月8〜14日、大阪市立美術館 7月17〜25日、神戸市立南蛮美術館
)で荒尾昌朔・遺作特別展示が行なわれ、「曲馬団(團)の娘達(た
ち)」「街の月」「負う」「彩馬」「因青(因)」「相赤(相)」「
翠」「空間の画鋲」「驟雨」「雨後」「恋愛からの発展」「かきば虫
の虚構」「化綾」の13点が出品される。また同会より会員功労賞が送
られる。

                                (岡 義明 編)

 

財団法人 大川美術館

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開館時間:10:00〜17:30(入館は17:00まで) 
休館日:毎月曜日(月曜祝日の場合は火曜日)、年末年始
入館料:一般1000円、高大生600円、小中生300円
駐車場:水道山公園駐車場(無料)