よみがえる日本画家の挑戦
荒尾昌朔展
大川 栄二
前回のアメリカ現代版画展に続いて、また大川美術館らしからぬ無名の日本画家展である。だが正直一息ついた前回展とは違い、埋もれたる異才の発掘であり、日本画、油彩、版画と云うジャンルを越えた「絵」と謂う大分類を、何の抵抗なしに採り上げたもので諸々の批判は甘受したい。
さりとて、限りなくありとはしながらも、忘れ去られたる異才を当てもなく探索する程の閑は持ちあわせず、この荒尾昌朔は私の知友でありプリミティブでクリーンな写真家として秘かに期待している荒尾純氏の亡父である。
阪神大震災ですべてが崩壊せる生地獄の中でなんとか守り抜いた亡父の作品群を見せられた時、なんとか世に問うてみたいと謂う感傷のような甘さがなかったかは否定できぬが、路面のボロ小屋とも覚えしき建物から出されての道路上検分という異常な光景の中で、今回の決断が自然と生まれて仕舞ったのである。
荒尾昌朔は結城素明門下で上野の美術学校を首席で卒業したが、貿易船長をしていた家に育った故か温厚誠実につきる人物であり乍ら絶えず闘争的であり進取な志向を持つコントラストなスケールだったようで、正にそれを地で行ったような作品群である。
従って1950年前後に若い画家群が、“抽象以外は絵画に非ず”と叫ばれた時流を追って抽象志向したのではなく、あくまでも美の創造への挑戦だったと彼の作品群が語っている。
ご子息、純氏の言によれば、絶えず挑戦的であり58才であり乍ら海外挑戦の夢を秘め、自ら中心であった、62層海外巡回展の為の渡米直前に踏切事故死という突然の画業挫折となった一遍のドラマである。
とにかく、絶えず詩人的エスプリを土壌として、人間性を追求している画趣は、日本画だけに特に光って感じるのは私だけではないだろう。技に冴えきった堂本印象を嫌っていたと純氏も語っている。
余りにも内包性が乏しきゆえにエスタンプにしても殆ど本画と変わらぬ昨今の日本画氾濫だけに、一寸世に問うてみたいのである。
尚、いまだご健在の武子夫人(89才、国画会員)の天平をみるが如きお人柄と正に天心爛漫、プリミティブそのものの油彩2点を同時出陳するのも、説明不要の清々しい風情かと確信している。
末筆乍ら、今展開催に際し望外なるご協力を賜りたる荒尾純氏始めご遺族の皆様、並びに松谷武判氏、またご助成頂きました芸術文化振興基金に対し、この場を借りて深く感謝申し上げます。
(理事長 兼 館長) |