財団法人 大川美術館     OKAWA MUSEUM of ART, KIRYU

[ Home ] [ Up ] [ 出品目録 ] [ 作品一覧 ] [ 大川館長 ] [ 岡学芸員 ] [ インタビュー ] [ 技法について ] [ 寺田春弌・年表 ]
[ Home ] [ Up ]

寺田春弌の油彩画技法について

 回顧展に先立って大川美術館所蔵作品を中心に、彼の油彩画の作画手法について考察する機会を得た。この項では、寺田春弌の作画手法を多角的、具体的に捉え、絵画保存、修復の先駆的指導者としても知られた彼の極められた画業を記しておく機会としたい。彼が没して20年を経た現在においても、実際家[注1]としての寺田春弌がのこした油彩画から、様々に汲みとるものが秘められていることを期待する。

 まず、基底材としてのカンヴァスのことから記したい。用いられているカンヴァスは、手製のものはなく全て既製品を使用している。国産のものも多く使用しているが、1970年前後よりベルギー・クレソン社製のものの使用が多くなる。これは彼が迎賓館赤坂離宮天井画の新規制作に際して、内外の多くのカンヴァスをテストし、その結果として採用した上記の製品を最良のものと判断したからであろうと推定される。

丁度これは、彼の長年の油彩画の研究の集大成の時期に至り、また長年の画歴の中で最も豊かで、品格のある油彩画が生み出された。殆どのカンヴァスは、油彩画の発色に最も良いと判断したセリューズ下地のものである。多くの場合、描画を始めるのに際して、樹脂油を適量含ませた布で拭きこみ、つまり、下地に樹脂油を含浸させ、その後、1〜2時間の乾燥を待ってから作画にかかっている。

これは油絵具の下地への固着を確かにすると共に発色を保つ効果がある。油絵具の持つ本来の美しさを表面上の表現により侵すことなく、永久的な美を定着させた油彩画表現の本質的基盤が、そこには示されていると言えるだろう。

 次に、彼のアトリエに残された油絵具、展色剤について検証してみると伝統的なものから新しく開発されたものまで巾広く使用していることが判る。下記に列記したい。

 ・白色 フレークホワイト(T)、シルバーホワイト(WN)、ジンクホワイト(WN)、チタニウムホワイト(WN)

 ・褐色 ローシェンナ、バートシェンナ、ローアンバー、バーントアンバー、インディアンレッド、ベネチアンレッド(すべてWN)

 ・黄色 ネープルイエロー(WN)、イエローオーカー(WN)、カドミウムイエロー(WN)、カドミウムオレンジ(WN、T)

 ・緑色 オキサイドクロミウム(WN)、テルベルト(WN)、ウィレザーエメラルド(WN)、ビリジアン(T)

 ・青色 ウルトラマリン(WN)、コバルトブルー(WN)、セルリアンブルー(T)

 ・赤色 カドミウムレッド、バーミリオン、ローズドーレ(すべてWN)

 ・紫色 マゼンタブルーシェード、マゼンタレッドシェード、モーブ(すべてWN)

 ・黒色/灰色 ペイニーズグレー、デービスグレー、チャコールグレー、アイボリーブラック(すべてWN)

 ・展色剤として ラベンダーオイル(LB)、オレオパスト(WN)

   WN……ウィンザー・ニュートン社(イギリス)

   T ……ロイヤル・ターレンス社 (オランダ)

   LB……ルフラン・ブルジョワ社 (フランス)

 上記の絵具は、下絵を描く時以外は基本的にチューブから出したままを使用していたようである。つまり良く練り上げられた最良の状態を、その粘度、固着力を損なうことなく使用している。材料としての油絵具の製法を手練り、機械練りの両方を繰り返して研究し、各絵具のベストの状態を知りつくしているからこそ出来ることである。

 透明色をグレージングする場合は、自分で調整した油を用い、又、絵具の粘度の調整は、ラベンダー・オイル等を適量加えることによって行なっていたようである。この油脂皮膜層から透過する色の深い美しさを見せるグレージングは、独自の研究から良質な調整油が生み出された成果であるとも思われる。彼自身も語っているが[注2]、油彩画は材質的にみて、性急に結果を求める性質のものではない。薄塗りの層を十分に 乾かしながら何層にも重ねていくこの手法は彼特有の豊かで奥行きのある画風を生み出すのに実に適していたといえるだろう。

 このように油彩画については即興的に描くことは殆どなくエスキースを積み重ね一つづつの作品にじゅうぶんの時間をかけていた。『手が走る前に目で自然の真実をしっかり把握して』[注3]描くその丹念な手法からは、彼のものを見る資質がきわめて優れていたことにも気づかされる。1970年前後から晩年にかけて描かれている主として花をモチーフとした静物画には、対象物のまわりをとりまく空気を掴むような感覚が徐々にみえ始める。対象物の美を凝視し把握する眼がより厳しさを増した形として表出してきたと思われる。次に数点をとりあげその手法をたどりながら、彼の油彩表現の独自性をみてみたい。

・山椿   思い切った厚手のブラッシュ・ストローク(筆(1961年作) 跡)を生かしているのが特徴的にみられる。絵 具の粘度を溶き油で落すことなく、下に置かれ た乾ききらない厚塗りの黒色を赤色、白色の筆 致でからませながら、描きあげている。この筆 致が、椿そのものの花弁の厚みを強調し、小品 ながら椿の赤色の放つ質感が迫る存在感をもた らしている。

・アネモネ (市民ギャラリー蔵)やバラ(未完成)は、油 彩画の伝統的手法にのっとった、絵具層を塗り 重ねて透過する色の美しさが魅力的である。

  《アネモネ》 (1974年作)

  円を描くような曲線の筆使いは、花が内部か  ら外気へ向かい弾力のある花びらを開く生命  力を見事に表している。対象物そのものに向  かって塗りこめられた背景は、薄塗りで何層  にも重ねられ、透明感のある層を描き出して  いる。外気が花に吸い寄せられるかの雰囲気  を導いているようだ。

  《バラ》 (1978年頃)

  未完成ながら、画面全体から、気品あるバラ  が香りたつ様子を描いているようにさえ思え  てくる。彼特有の重ね塗りの手法が、対象物  の佇まいとしての全体をうまく捉えた最晩年  の良質な作と思われる。

・葉陰   黄色を大胆に彩度の高いままに使う手法は、《(1968年作) 春を呼ぶ荒野》(1973年作・日本赤十字社蔵) や《庭の秋》(1966年作・東京藝術大学大学美 術館蔵)にもみられる。非常に色調の強い絵具 で画面全体を広く覆いながらも、黄色の彩度を よく把握した上で、空間のもつ雰囲気を美しく 上品に描ききっている。技法上の秩序が対象物 を捉える眼と融合し、画面からたちのぼってく る気品が印象深い。

 以上の6点をみても多様な表現手段としての油絵具の特質を最大限に生かしながらも、それぞれのモチーフの持つ質感を見事に表していることがよく分かる。それだけでなく対象物を把握した上での空間を意識する眼は、晩年になるに従い昇華していった。特に、上記のような「花」をモチーフとした対象物では、それとじっくり過ごす時間の中から、ものの様子や佇まい、発せられる香りなど、全ての要素を彼なりの自然観のうちにつかみとり適切に画面に表している。

 『油彩画の技術は、他の科学技術より、不確定な要素の多い世界である。しかし、その底辺はやはり技術であることに変わりない(略)』[注4]

 一般に、素描、デッサン力(構成力)が確かでなければ油絵具は使いこなすことが難しい素材であると言われる。彼の場合、材料上の多くの制約を自身の手で学びとった。だからこそ油絵具の本来の美しさを見ることが出来、自身の画面に生かし得た。この基本的な彼の作画態度は、独自の油彩画表現をより自由で、より深化させたと思える。作画のためだけの技法研究でも、技法のためだけの作画でもない境地での表現世界は、奥ゆきのある美へと昇華していったのだろうと想像される。材料の物性を掘り下げ研究した、また同じところに内面を把握し一空間の美をとらえる『画家の心』[注5]が存在していたことをみいだす。彼の行なってきたこれらの研究は、次元の高い絵画技法研究と言えるものであることは、寺田春弌の油彩画そのものが既に証明していると言っていいだろう。

 (学芸課)

 

 

財団法人 大川美術館

〒376-0043 群馬県桐生市小曽根町3-69(水道山中腹) 
Tel:0277-46-3300 Fax:0277-46-3350
okawa-m@theia.ocn.ne.jp

開館時間:10:00〜17:30(入館は17:00まで) 
休館日:毎月曜日(月曜祝日の場合は火曜日)、年末年始
入館料:一般1000円、高大生600円、小中生300円
駐車場:水道山公園駐車場(無料)