
●本年譜は寺田春弌作品集(1979年 兜屋画廊発行)
寺田春弌・年譜 TERADAShun-ichi
に所収された年譜を参考に作成いたしました。 |
| 西暦 |
年齢
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事 項
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1911年
3月26日 |
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東京都八王子市に生れ、神奈川県に移住。父良太郎、母尼那の長男として生まれる。本名は春一。 |
1927年
(昭和2) |
16歳 |
油絵を始め、医家志望から逐次、画家志望に傾いていく。 |
1929年
(昭和4) |
18歳 |
神奈川県立横須賀中学校から転じた同湘南中学校を卒業。東京美術学校の進学に対し、必ずしも周囲の賛成を得られなかった。 |
1930年
(昭和5) |
19歳 |
3月1〜15日、太平洋画会第26回展(東京府美術館)に《樹下の道》が入選。この年、神奈川新聞社主催美術展に《村道の老樹》が入選し、佳作賞を受ける。藤村知子多の紹介により藤島武二に師事する。 |
1931年
(昭和6) |
20歳 |
2月22日〜3月15日、太平洋画会第27回展(東京府美術館)に《芥子》秋の花》が入選。2月26日〜3月14日槐樹社第7回展(東京府美術館)に《桜並木の途》が入選。4月、東京美術学校本科西洋画科に入学。(藤島武二教室)。 |
1934年
(昭和9) |
23歳 |
東京美術学校より選出され、代表として大学高専学徒視察団に参加、満州朝鮮の古美術を視る。この頃「写実と構成」を考える同志と未知会を結成、銀座紀ノ国屋画廊現在の兜屋画廊の位置)にて研究発表のグループ展を開く。 |
1936年
(昭和11) |
25歳 |
3月、東京美術学校を卒業。卒業制作は《ふたり》。4月24日〜5月10日、光風会第23回展覧会(東京府美術館)に《緑蔭》が初入選。 |
1937年
(昭和12) |
26歳 |
1月、近衛師団高射砲第2聯隊に入営。4月、砲兵科幹部候補生。11月、演習にて怪我ののち疾病のため陸軍病院へ入院、兵役免除となり帰郷。 |
1938年
(昭和13) |
27歳 |
病気回復をまって名古屋市私立東海中学校に奉職。 |
1939年
(昭和14) |
28歳 |
2月19日〜3月5日、光風会第26回展覧会(東京府美術館)に出品。夏、東海中学校母の会の後援をえて台湾高砂族の生活工芸服飾調査のため出張、全土を視察する。 |
1940年
(昭和15) |
29歳 |
愛知県岡崎市立商業学校教諭に迎えられ主として商業美術を担当。2月14日〜3月3日、光風会第27回展覧会(東京府美術館)に出品。 |
1941年
(昭和16) |
30歳 |
この頃より油絵具は配給制となり入手困難になる。油絵具の製法について研究を始める2月14日〜3月1日、光風会第28回展覧会(東京府美術館)に《憩ひ》を出品。 |
1942年
(昭和17) |
31歳 |
2月14日〜3月1日、光風会第29回展覧会(東京府美術館)に出品。 |
1943年
(昭和18) |
32歳 |
2月14〜27日、光風会第30回展覧会(東京府美術館)に出品。光風会会友に推挙される。
3月、藤島武二の死に遇う。愛知県立明倫中学校教諭に転補される。
8月6日、東京美術学校に生徒主事補として着任。安井曽太郎に師事する。 |
1944年
(昭和19) |
33歳 |
2月17日〜3月10日、光風会第31回展覧会(東京府美術館)に出品。7月18日、東京美術学校助教授兼生徒主事補となる。「油絵具の組成研究」に対し文部省科学研究費を受く。 |
1945年
(昭和20) |
34歳 |
横浜空襲により被災全焼、全作品を焼失す。 |
1946年
(昭和21) |
35歳 |
3月1〜31日、第1回日本美術展覧会(東京都美術館)に《室内》が入選。6月19〜29日、光風会第32回展覧会(三越)に出品。光風会会員に推挙 される。 |
1947年
(昭和22) |
36歳 |
6月10〜30日、第1回美術団体連合展覧会(東京都美術館、毎日新聞社主催)に光風会員として《堤琴家Nさん》を出品。光風会員を辞退し、一水会に転じ会員に推挙される。9月20日〜10月4日、第9回一水会展(東京都美術館)に《レッスンのあと》《Iさん》を出品。同展にて会員に推挙される。 |
1948年
(昭和23) |
37歳 |
9月19日〜10月2日、第10回一水会展(東京都美術館)に《黄色の服》を出品。 |
1949年
(昭和24) |
38歳 |
6月1日、東京美術学校は学制改革により東京芸術大学美術学部となり、6月30日、春弌は東京芸術大学助教授となる9月21日〜10月10日、第11回一水会展(東京都美術館)に《憩ひ》を出品。浪江以和と結婚。 |
1950年
(昭和25) |
39歳 |
「油絵具の媒剤合成の研究」に対し文部省科学研究費をうく。 |
1951年
(昭和26 |
40歳 |
9月21日〜10月7日、第13回一水会展(東京都美術館)に《I子の像》)《閑日》を出品。 |
1952年
(昭和27) |
41歳 |
9月21日〜10月7日、第14回一水会展(東京都美術館)に《I子像》《老教師の像》を出品。 |
1953年
(昭和28) |
42歳 |
11月、文部省在外研究員として渡仏、ルーヴル美術館極東科学研究所に入所、Gグーリナ氏の指導をうけ、油彩画保存、古画修復、材料学などを学ぶ。在仏中、日本大使館参事官高橋通敏氏の好意によりフランス作家との交、研究会をもつようになる。 |
1955年
(昭和30) |
44歳 |
2月に帰国。4月、渡欧作品展(銀座松坂屋画廊)を開催。
9月21日〜10月7日、第17回一水会展(東京都美術館)に《街角(パリ)》《新開地(アルル)》《丘の家南仏キャーニュ》を出品。
10月、第1回個展(東京サエグサ画廊)を開催。
12月、師安井曽太郎の死に遇う。 |
1956年
(昭和31) |
45歳 |
東京芸術大学美術学部絵画科に技法、材料用法及び文化財保護のための修理技術の研究室を開設する。
4月27日〜5月2日寺田春弌滞欧作品展(銀座松阪屋美術部画廊、第2回個展)に《トレドの夕照》他を出品。
4月、朝日新聞社学芸部長遠山孝氏の企画により、国際的な具象絵画運動の展開を紹介するための展覧会計画が起り、フランス側作家の出品依頼を連絡する。
7月2日〜8月4日、第1回日仏具象作家協会展(ブリヂストン美術館、朝日新聞社主催の第1回国際具象派美術展)を開催、《キャーニュの家》《朝》《トレドの門》を出品。
9月21日〜10月7日、第18回一水会展(東京都美術館)に渡欧作の《アルルの屋根(南仏)》《教会の屋根(ヴアレンシヤ)》出品し会員努力賞を受賞する。
10月、第3回個展(大阪フジカワ画廊)を開催。 |
1957年
(昭和32) |
46歳 |
一水会を退会、無所属となる。
10月18〜23日、(大丸東京店画廊、第4回個展)を開催、《バラ》など18点を出品。 |
1958年
(昭和33) |
47歳 |
『デッサンの学び方』(教育美術振興会)を刊行。
2月25日〜3月9日、日仏具象作家協会展の出品作家招待が拡大され、第2回国際具象派美術展(日本橋高島屋特設画廊、朝日新聞社主催)として開催、《アルルの屋根》《キャスティルの回想》《立葵》を出品、同展運営委員を委嘱される。 |
1959年
(昭和34) |
48歳 |
『油彩画のファクチュール』(ダヴィッド社)を刊行。 |
1960年
(昭和35) |
49歳 |
「油彩画に発生する黴の除防黴法の研究」に対し文部省科学研究費をうける。この研究成果として、フランスより返還された国立西洋美術館所蔵、アルベールマルケ作《婦人坐像》の防黴復原に成功する。
4月5〜13日、第3回国際具象派美術展(銀座松坂屋特設会場、朝日新聞社主催)にイタリア作家等の参加を得て開催、《室内》を出品。 |
1961年
(昭和36) |
50歳 |
9月〜11月、ヨーロッパ、アメリカをまわり、ローマにおいて開催されたI.I.C.コンフエランスに出席(文部省より出張)し「油彩画に発生する黴の除防黴法」の研究発表をする(みずゑ1961年12月号〜1962年7月号に発表)。この時にI.I.C.(歴史美術資料保存国際学会、本部ロンドン)会員となる。またこの研究成果として油彩画への防黴剤添加法及び文化財用画紙の紙漉法の研究を完成する。日光東照宮宝物館の大壁画10画(パンチュールドラマルフレー)のトランスファー施工の委嘱(岸田日出刀氏建築設計、新宝物館)をうけ実施する(「大日光」に施工記録報告書発表)。 |
1962年
(昭和37) |
51歳 |
日光東照宮宝物館大壁画(4人行列の図)の移転(トランスファー)完成。文部省文化財保護委員会主催の技術者養成講習会講師の委嘱をうける。
4月10〜22日、第4回国際具象派美術展(銀座松坂屋特設画廊、朝日新聞社主催)を開催、《河添いの道》《青銅壷の女》を出品。 |
1963年
(昭和38) |
52歳 |
寺田春弌新作展(兜屋画廊)に《母子像(未完)》《街角にて》《アシジの丘(滞欧作)》《ダリア》《抱く(母子像)》《タンクのある入江》他を出品。 |
1964年
(昭和39) |
53歳 |
3月10〜15日、第5回国際具象派美術展(上野松坂屋特設会場、朝日新聞社主催)を開催、《母子》を出品。 |
1965年
(昭和40) |
54歳 |
東都大学美術展審査員。
横浜市広報企画審議会委員を委嘱され1978年3月まで同会会長に選任さる。 |
1966年
(昭和41) |
55歳 |
7月〜8月、フランス、ピレネー、サンシプリアン市長の招待により、同地美術村に滞在し制作に従事。同市美術館に《葉蔭》が収蔵される。 |
1967年
(昭和42) |
56歳 |
国公立大学美術展審査員を委嘱される。 |
1969年
(昭和44) |
58歳 |
文化庁の委嘱により重要文化財《慶長遣欧使節》関係資料のうち、仙台博物館蔵の《支倉常長の肖像》(油絵)、《パウロ5世の肖像》(油絵)、《ローマ公民権証書》(羊皮紙)の調査修理復原を実施する(文化庁刊報告書)。
『油彩画の科学』(三彩社)を刊行。
10月・ボッチチェルリ作《シモネッタヴェスプッチの肖像》の画法の科学的調査研究を実施。技法の真贋解明をする(報告書、西欧学芸研究所刊)
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1971年
(昭和46) |
60歳 |
文化庁より国宝《高松塚古墳壁画》の恒久保存対策委員を委嘱され調査にあたる。
建設省の委嘱による元赤坂離宮の迎賓館改修に当り、天井絵画の調査を実施。引続き修理復原の施工設計及び新規制作を担当(1974年3月完成)。
東京芸術大学教授となる。絵画組成研究室(講座新設)。 |
1972年
(昭和47) |
61歳 |
建設省よりヨーロッパ各国の宮殿建築における天井絵画の工法、画法の調査のため出張。
参議院の委嘱により永年勤続議員表彰の肖像画(郵政大臣植竹春彦氏像)揮毫。 |
1973年
(昭和48) |
62歳 |
財団法人飛鳥保存会、郵政省の委嘱により飛鳥壁画館展示のための壁画(西壁女人群像部分)の模造模写の制作を文部省受託研究として実施、1976年8月完成。 |
1974年
(昭和49) |
63歳 |
3月、迎賓館赤坂離宮の天井画制作ならびに各室天井画の修理復原の功により銀杯一組(3号)を下賜され、5月、赤坂御苑園遊会へ招待される。 |
1976年
(昭和51) |
65歳 |
2月、日本芸術院より迎賓館赤坂離宮天井画制作に対し、50年度日本芸術院賞候補の推薦をうける。東京芸術大学芸術資料館長に併任される。東京国立近代美術館運営委員を委嘱される。美学会会員となり、10月、年次総会にて研究発表。 |
1977年
(昭和52) |
66歳 |
2月、日本芸術院より51年度日本芸術院賞候補の推薦をうける。 5月、画業50年展覧会(銀座松坂屋画廊)を開催。個展歴は25回を数える。
9月、日本赤十字社より金色有功章をおくられる。
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1978年
(昭和53) |
67歳 |
4月10〜22日、東京芸術大学教授停年退官、退官記念展として、寺田春弌*****淀井敏夫作品展(東京芸術大学陳列館)が開催される。東京芸術大学名誉教授の称号をおくられる。横浜市文化賞選考委員を委嘱される。 |
1979年
(昭和54) |
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3月12日、胃ガンのため国立熱海病院で死去する。享年67歳。 |