財団法人 大川美術館     OKAWA MUSEUM of ART, KIRYU

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「寺田春弌回顧展」によせて

                   大川 栄二

確か25年程前だが、大阪のある画廊で前衛著名画家で共に既に権威ある国際美術賞を得て居るS.M及びK.S両氏の二人展ありて、各数点の仲々愉しい 100号作品が展示されていたが、S.M氏の作品が正にパンパンのアクリル彩色だった。私は「これでは50年は経過せぬ裡にピグメント感のアクリルは粉化してカンバスから飛散して仕舞うのではないか?」と質問したらS.M氏は「それでよいのです。我々の絵は既成の絵を破壊して出来ているのでこの絵も破壊されていいのです。」と云われたのには驚いた覚えがある。これは確か80万円の値段だったが、買った人はどうなるのか、「それなら、それを断って売るべきだ」と反論した記憶がある。理屈は判るがコレクターに云わせれば酷い話で、当のS.M氏は現存の立派な大家だが、本当の話である。

 如何に芸術至上主義と謂えど、メチエに支えられぬ画面には芸術現象であってもその審美性の維持なく、その商品価値は零に近い。絵が流通する以上、表は芸術品だが裏は商品であると云う冷厳なる現実は何人も否定出来ぬのである。

 美学に疎くコレクター上がりの私には、以前より名前こそ芸大教授に寺田春弌ありと朧げに聞いていたが、その作品に触れたのは遺憾乍らここ一、二年である。寺田は当時、東京美術学校 − 東京芸術大学と謂う象牙の塔の中でひとりのアルチザントとしてのメチエの研究と共に、その創造の源点を画学生達に教え続けていた。芸大教授と云う名声を持ち乍らも画家としてよりは学究者、又は絵画修復家と観られがちで、特に性急で恣意的な時流迎合は全く無く絵画市場では無名に近かったのだろう。  だが、寺田が東京芸大で永年に亘り展開した絵画組成研究の恩恵が多くの画学生の芸術を内側からどれ程拡げていたか、その価値が余りに伝わらないのは自惚れの強い人間的に情けない画学生達である。

 とにかく、昨年秋に私の尊敬する画商の一人である兜屋画廊の加藤千豊氏の推奨で初めて何点かの寺田作品を識り、加えて同氏より紹介されたご子息で絵画修復家である寺田泉氏を通じて聞き及んだ父との想い出から推察出来る寺田春弌と謂う人物が二重写しとなり私に望外の一つの重い影を落としたのである。即ち、一寸した画家なら皆そのように滞欧作にみられる見事に洗練されたあのエスプリが、帰国後の作品に多くみられる切花ゆえの水切れの為に完全に消滅し、著名画家すら晩年の行き詰りと共に文人画風に逃げ込むのとは全く違う寺田晩年作に潜むクールな感性に浮上するある種の高雅さは何なのか。物と心の定着として見事に昇華凝縮されたが如き変化の晩年作であり、特に芸大教授退官前後の作品の奥深い品格は何なのだろう。退官後僅か一年足らずの急逝は真に残念で67才と謂えど正に夭折とも覚える。

 私には世に油彩の基礎科学を追求することを絵を描くことに比し、低い次元と考える傾向あるは否定出来ぬが、寺田はこれ以外諸々の歴史的文化財や古典類の研究修復作業を通じての古き「みえないところ」より逆に新しく得難い発見が齎らしたからこそ晩年にある種の内面の美を生み出したのかも知れない。本物の美とは「内面の美」であり絶対だませない画家の人格であると確信する。

 ここに来て私には柄にもない又、絵としても余り面白味に欠けるが、フォンタネージから安井曽太郎に一貫する日本アカデミズムの追求が、「絵は人格」という考えに出発する私にとって絶対看過し得ぬ課題としてここに敢えてこの孤高的異色画家の企画展を採り上げその探求を学芸部門に委ねての展観となったのである。ご期待下さい。

 末筆失礼乍ら本展に望外なご協力を賜りたる寺田泉氏、及び何かとご便宜賜りたる関係組織各位、またご助成頂きました芸術文化振興基金に対し深く感謝する次第です。        (当館理事長兼館長)

 

 

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