少年期より画家を志し滋賀県より上京した彼は、美術学校を受験するも失敗。
その後、永らく美術雑誌の記者、新聞社の校正係、工場長など様々な職業を転々としました。そして定年退職後、本格的に画家の道を再開。やがて識者に薦められ、正に晩年と呼べる71歳にして初個展をようやく開催したのです。
そこで初めて本格的に明らかにされた作品は、グワッシュ(不透明水彩絵具)と特殊な筆を用いた独自の技法をもって、唸るような筆致で描かれた荒涼たる工場風景や、幽玄にして重厚な歴史観を湛える俑(ヨウ、中国の副葬品とした像)などでありました。
彼はこの時、絶大な世の反響を呼び、『奇蹟』として注目され、『遅れてきた新人』と評されたのでした。そして続き、青年期から強く憧れ続けた念願のヨーロッパ滞在を経て、更なる飛躍のステージを求めていったのです。
しかしわずか数年、彼は突然の終焉の時を迎えるのでした。