財団法人 大川美術館     OKAWA MUSEUM of ART, KIRYU

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小論:鷲田的画業
 
                   岡 義明
 自由奔放に理想のイメージを増幅させていく芸術家。片や、日々糧を得ることに追われる生活者。現実的に、この狭間に生きる画家たちがいる。彼らはこの双方の二重人格的なバランスの取り方に、どの時代にも大なり小なり悩まされてきた。自らの生活のためにも、また家族に対する責任面でも、ひとりの人間として果たすべき責任が両肩にのしかかる。また同時に、自らの内面に沸き上がる(つまり表現者の表現者たる所以である)表現行為への渇き(つまり性)。双方は心の中で複雑な葛藤をみる……さて鷲田の場合のそれは、どうであったのか?
 初個展を開催したのが71歳の時であったという事実は、ある意味でこの画家を象徴的に表わしている。更にこの事の問いに対し、彼は次のように毒突いている。(個展なんて)「親戚のお通夜じゃあるまいし、近所やら親戚が集ってはワイワイやっている」[1] などと。こんなところが、また鷲田らしくて面白い。彼の思考は追って考えてみたいが、つまりこういった“人としての生きざま、またはその歩み”に対する興味から画家を考察していこうというのが、いかにも当館らしい発想と自負する処である。そしてこういった人間的な部分での興味を、より積極的に追求することで、他館との企画展の差別化、つまり積極的な個性化を計ってもいるのである。
 
 ここで当企画の主旨を簡単に整理しておく。今展は鷲田新太の生誕 100年を記念し開催するものである。確かに著名画家とまではいかない鷲田に対し、記念年を鑑みた展覧会名を銘打つのは、少々大袈裟かも知れない。彼の場合、これまで当館にて行なってきた“時代に埋もれた発掘画家展”と同様であるが(鈴木満、荒尾昌朔など)、企画展の実施以降も責任を持って画家を継承していく目的で、画業全体を説明出来るだけのボリュームの作品受入を、今回もご遺族より受けている。そのために踏んだ手順の結果、幸運にも本年が生誕 100年に当たった次第である。
 さて鷲田新太(わしだ・あらた 1900〜1977)であるが、彼は少年期より画家を志し滋賀県より24歳の時に上京した。28歳で美術学校を受験するも失敗。その後は生活を賄うべく、美術雑誌の記者、新聞社の校正係、工場長など、様々な職業を点々とし、生計を立てることのみに終始した人生を送る。この間、画家としては沈黙の時を過ごしたと言えよう。
 そして56歳の定年退職になってから本格的に画業を再開。この時点で彼が発表の場として選んだのが、小規模な美術団体・光陽会だった。また後に同会の代表となり会発展に尽力する。しかし定年になったからといって、決して生活が楽になった訳ではなかった。
 程なくして、彼は識者に無理強い的に薦められ、正に最晩年にして初個展をようやく開催したのであった。そこで初めて本格的に世に問われた(発表された)作品は、グワッシュ(不透明水彩絵具)を用いた独自の技法をもって、唸るような筆致で描かれた郷愁さそう“風景”(都市風景が多)、そして幽玄にして重厚な歴史観を湛える“俑”(よう、中国の副葬品とした像)などであった。彼はこの時、絶大な世の反響を呼び、「奇蹟」として注目を集め、「遅れてきた新人」と評されたのだった。そして続き、青年期から強く憧れ続けた念願のヨーロッパ滞在を経験し、更なる飛躍のステージを求めていった彼であったが、わずか5年、あまりに突然の終焉の時を迎えるのであった。
 彼は自らを運命論者的な性格と言っている。巴里日記[2] の中にも「運命」という言葉が、ここかしこに目に付く。「そのうちになんとかなるわい」とした、ある種の開き直りが、幸か不幸か彼の人生の結果を導きだしたように思えてならない。
 
 前記したように、鷲田の表現世界は“風景”と“俑”がその代名詞として上げられる。このふたつは絵面(えづら)的に好対称であると言えよう。
 まず風景についてであるが、作品を比較すれば一目瞭然、正に佐伯祐三(1898〜1928)に大きく傾倒していたことが明白である。また滞仏中の作《クラマールの寺》に添えられた次のコメントなどでもそれは分かる。「彼(佐伯の事)が意を決してクラマールの森へと奥深く入ろうとした直前、彼はあるいはこの寺で神に最後の別れを告げたかも知れないと想像され、私は感慨深く一気にこの作品を描いた次第であった。」[3]。彼の思いの丈が知られよう。
 鷲田は油彩画の興味から絵の世界に入ってきた。しかし、いくら溶油で油絵具を伸ばしても、彼が風景に求めた画面の表情は到底獲得出来なかっただろう。そのキリリとした俊敏さ、また共存する繊細さ、微妙な滲みは水溶性でありボディも確かなグワッシュならではであろう。つまり彼の画材の転向は必然であったと考えられる。お断わりしておくが、一応グワッシュと記しているが、単にそれだけではないらしい。彼の技法の特殊性については、前掲の水波博氏の解説文に的確な指摘もあるが、その伸びやかな筆致は、独自な絵具のみならず、更に特殊な筆による処も大きいという。自身でも技法について「秘密のない絵かきは大家になれないということがはっきり解ったね」[4] と言っている。また注目したい事として、特に輪郭を追う黒線の完結度の高さについては、昭和16年あたりから晩年までの松本竣介(1912〜1948)の線の表情にも、合い通じるところだろう。事実、鷲田の遺品には松本の特集を切り抜いたスクラップが存在している。佐伯、そして松本。ここに一連の系統をみて、差し支えないだろう。更にこの線が誕生した起点には、若き頃、美術記者時代に培った、特に日本画への造詣があるという事を申し添えておく。
 風景シリーズのスタートとして、1963年制作の《冬枯》(cat.no. 15)が上げられる。これを生前の本人は「風景に開眼した作品」と明言していたという(姪・村田ひとみ談)。時期的に見ても、定年退職後に団体展に復活(1956年から光陽会展へ出品)はしていたものの、片や戦前より師事していた川端龍子(1885〜1966)を訪ね、批評を積極的に受けている。冷汗もので見せた作品に龍子は「うん、いいよ」と一言だけ述べたという。自他共に認め、自信を得、本格的復帰への起点となった作品である。
 それから数年遅れて始められ[5] 、風景とは対照的に内面的な思想の追求をもって描かれた“俑”。この説明は、画家自身の言葉が的確だ。「一口に言へば『落箔』の美しさである。日本の古仏像に千年の風月に依ってかもし出されているあの無類の美しさ、また年を経た仏画のわずかに残る色彩のある神秘な『美』の極限にである。」[6] としている。この追求ぶりも尋常ではなく、宿願となっていたパリ行きが数十年ぶりに漸くかなった時でさえ、しかしその滞在時間の多くを風景そっちのけで俑に注ぎ込んでしまった、という具合にである。まさにここにも表現の追求に止まらない、彼の人生思想までもが垣間見られる。ある評論家が、死の直前に彼を取材した時、その姿を万感をこめてつぶやいた次の言葉が重なってくる。「老朽しながらも一生懸命煙をはく工場の姿」[7] と。
 彼自身の言葉を拾ってみると、その思想はより明確になっていく。例えば、雑誌インタビューの最後の言葉、自分を評して……「一番の取り柄は、うぬぼれないことですよ。醒めて他人も自分もみられることですな」[8]。また巴里で記した日記、その締めの言葉……「繰り返して書いておく。つつましく愚朴に生きること」[9]。
 
 今展は、画家の生誕 100年を機に再評価を求めることを主旨としている。更に“世相に媚びる絵は決して描かず”また“感動なくして決して絵筆を進ませない”として追求した表現、それに生涯をかけた一徹なる人間ドラマをも重ね合わせ、紹介する企画を目指すものである。
              (当館主席学芸員)
 
[注]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                       ・・                      ・・          別紙          ・・        (文字小さく)        ・・                      ・・                      ・・                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
[注]
 
[1]アサヒギャラリ 1978年 3月 ガッシュ“炎”と  燃えて
[2]巴里日記 昭和54年 鷲田睦子刊
[3]前掲書[注1] カラー図版
[4]前掲書[注1] ガッシュ“炎”と燃えて
[5]前掲書[注1] 随筆・俑と私
  「私はここ10年以上にわたって不断に俑を描きつ   づけている…」
[6]前掲書[注1] 随筆・俑と私
[7]前掲書[注1] ガッシュ“炎”と燃えて
[8]前掲書[注1] ガッシュ“炎”と燃えて
[9]前掲書[注2]
[写真キャプション]
 
1973年9月25日 パリ郊外のクラマールの森にて

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