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版画は現在において芸術、デザイン、出版など様々な分野で活用され生産する一つの行為として大きな役割を果たし発展しています。また、版画は複数制作されることで少々低く見られる面はありますが、逆に作家の一瞬のインスピレーションにより生まれた作品をより多くの人々に伝えることが出来るのです。
版画がここまで発展してきた理由として、技法の多彩さと複数生産が可能であったからだと考えられます。そこでまず、ヨーロッパでの版画の歴史的流れと技法について触れたいと思います。
版画の始まりは信仰の普及と聖なるしるしの量産、多量写しの行為からとされている通り、もともとは聖書等の書物生産からの発展からだと考えられます。ヨーロッパでの書物生産は十五世紀あたりまでは、「写本」という形で手書きによって行われてきました。この行為がいつから始まったかというのは定かではありませんが、十二世紀以前の写本生産は修道院が中心となり聖書、詩篇などを装飾写本として制作をしました。十二世紀以降には各地に高位聖職者の養成を主目的とする大学が生まれ教育に必要な教科書等を制作する書籍業者が多く店を出すまでに広がりました。しかし、1400年直前に木版を生地に転写する「捺染」の技術が生まれるなど印刷術の興隆によって写本生産は消滅していったのです。
捺染の技術が生まれページ全体を一枚の版木として彫り、紙に転写して一度に多数の同一コピーを生むことが可能となりました。これらは部屋の飾りや、魔よけの役を果たし巡礼地、教会のミサや定期市に集まる信徒たちに売る目的で摺られました。木版は写本比べ多く生産することが出来ましたが、木という柔らかい素材を使用しているため、版木がすぐ摩滅してしまったり、摺り、貼り合わせる仕事に時間がかかり経費などもかかるということで別の手法が模作されるようになりました。
次に、銅版はいかにして始まったのでしょうか。現在までに様々な事例があげられていますが、ドイツ、オランダ、イタリアにおいてほぼ同時期に発明されたというのが穏当ではないかと思います。しかし、一説には全く別のスイスで発明されたともいわれています。ただ、現在知られている最も古い銅版画が1430年代に出来たものらしく技術的にも芸術的にも非常に優れていることから起源はそれ以前と考えられ、大体1420年代から30年代とみられています。
ドイツの銅版画は1430年代頃ラインの谷に生まれたものらしくそれとほぼ同時代にイタリアなどでも同等の完全さを具えた初期銅版画が生まれています。しかし、銅版画の初期の歴史においては上部ライン地方が優れているとされこの地方はおよそ50年の間に3人の優れた彫刻銅版画家を生んでいるのです。それは「カルタ絵の作家」といわれる金銀細工師とマスターE.S.及びマルティン・ションガウウェル(1445〜1491)で、3人とも金銀細工師であると同時に銅版画家でもあったのです。前述したようにドイツの銅版画は1430年頃生まれたとされていますが、それを最初に実用化したのは金銀細工師だったのです。この時代の金銀細工師は儀式の器物や教会のメダル、聖杯、聖体顕示台の装飾など非常に美しいものを創りました。そして金属に彫られた図案にインクをつめ紙を上に乗せプレスしてその図案を写し取りその彫金からとられた版画は最初に細工師の長や、それら工芸品の讃美者たちに図案の見本として与えられたのです。
このように工芸家たちによって一種の版画が誕生し細工師を兼ねていた彫刻銅版画家達は新しい技術を画家の心で芸術として自分のものにしていったのです。
石版画は1796年にミュンヘンの劇作家アロイス・ゼネフェルダー(1771〜1834)が偶然の機会に大理石面に水と油の反撥作用で平らなままに油性インクの付くところと付かないところをつくる平版の原理を発見しました。しかし石版が世界的に広がるのは発見から半世紀を越えていた十九世紀の前半でした。それでも世界に広がってからは新しい刷りもの技術は石版といわれるまでの全盛期を通過してきたのです。
シルクスクリーンは古くから使われてきたステンシル(型紙)による印刷を洗練し発展させたものです。この技法は1910年代にアメリカで多色刷りが成功したこと、また、一つの型から数千部も印刷できることから多くの作家達や職人達が様々な実験を試みるようになりました。
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