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五十殿 利治
いわゆる原始美術に例をとるまでもなく、裸体画や美人画というジャンルが示すように、本来、美術表現とエロティシズムあるいは「性」とは深い関わりがあるものである。ところが、「瑛九とエロス」を並べてみると、首をかしげるむきもあろう。
瑛九といえば、なにはともあれ1936年に鮮烈なデビューを飾った「フォト・デッサン」(直接感光紙に物体を載せるなどした後、感光して制作するもので、作家自身は後年になって「印画紙の夢」と規定した)、あるいはまた晩年の点描による油彩の大作である(今回は最晩年の点描《作品》が展示される)。そこには、つねに真摯に、というよりも生真面目に制作に没頭している瑛九の姿が刻印されている。あるいは、私自身も免れていない通弊かもしれないのだが、おおかたの瑛九論はそうしたモダニストとしての瑛九像をまず第一に描き出し、その輪郭ばかりを強調してきたきらいがある。つねに更新されることを目指すモダニズムの作家としてみるときは、表現方法や技法へまず注目が集まるし、描かれた内容は、無視されるというのではないにせよ、後回しになりやすい。
けれども、瑛九に近しかった人たちには、おそらく瑛九のエロスといっても、さほどの違和感を覚えないではないだろうか。たとえば、1953年制作、30部出版という「チャタレイアルバム」(D・H・ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」に由来)、「エロチック・エッチング」とか「エロアルバム」、あるいは「69」(スワサント・ヌッフ)集と呼ばれた銅版画集の存在はよく知られていたようだ。
現在に至るまで瑛九論の基本文献である山田光春著『瑛九 評伝と作品』(1976年)によれば、同画集は「ヒミツ出版」(内田耕平宛書簡、1952年5月10日)であるため、瑛九が「最初甘く考えていたのですが、やってみてムツカシイのにおどろき」(同前)というほど制作にも苦労し、またあれこれ買い手の表情まで思い浮かべるほどであったから、販売にも難儀したらしい。そのあげくに瑛九は「性について自由になるためには日本の社会はあまりに反対物が多すぎます」(湯浅英夫宛書簡、1952年6月3日)と嘆いたという。
たしかに、ロレンスの名が出てくるように、20世紀文学が開拓した分野のひとつとして「性」があった。文字通り、それは過去形で語るべきことだ。過激で猥雑な映像が文学表現をはるかに追い越して、写真やデジタル情報で流通し、氾濫しているこの時代、それは単なるエピソードとしてしか受け取られかねない。
私たちはこの状態をもし「オープン」というのであれば、なるほど「オープン」な性の時代に際会している。しかし、「オープン」であることと「自由」であることは必ずしも同じではない。実際、性に関する規制はなし崩しになっているだけで、「自由」を求める瑛九のことばは現在でもそのままに通用するように思われる。
それでは、瑛九におけるエロスの表現はどこから出てきたのだろうか。
瑛九の作歴を振り返ってみると、すでに最初の「フォト・デッサン」集である「眠りの理由」(芸術学研究会、1936年発行)に、乱舞するような女性の裸体のリズミカルなイメージが認められる。横たわる裸婦の後姿を赤で染め抜いたようなフォト・デッサン(1936年作、宮崎県立美術館蔵)も残されている。また、この時代の仕事で、ベルリン・ダダのハンナ・ヘッヒを想起させるように、印刷物や写真を切り抜いて、はりつけたコラージュ作品でも、女性の脚線や身体の一部が強調された作例がある。
こうした初期のエロスの表現は、ひとつに、瑛九におけるシュルレアリスムの影響として解釈できるかもしれない。技法的に、まず「フォト・デッサン」という、現像してから初めて作品の全容が明らかになるという制作過程には、シュルリアスムが「無意識」を探求する一手段とした「自動現象」を誘発する仕掛けという面があろう。この「無意識」探求の理論的な基盤を提供したのは、「夢判断」のフロイトだったが、そのフロイト理論の重要な支柱にエロスがあったことはいまさら説くまでもない。
とうぜん、シュルレアリスム芸術におけるエロスの表現はさまざまなかたちで探求されることになった。とくに写真の分野においては、たとえば1985年にアメリカで開催された、ロザリンド・クラウスらによる展覧会「狂気の愛――シュルレアリスムと写真」が明示したように、マン・レイをはじめ、ハンス・ベルメール、ラウル・ユバック等が活躍しているが、エロスのイメージぬきには、シュルレアリスムの写真を語れないほど、多数の作例がある。
もっとも、瑛九はシュルレアリスム的な写真を単に踏襲したようにはみえない。なによりも、シュルレアリストと異なり、現実に代わるという意味での、写真の「リアリティー」(現実感)への関心が希薄だった。だからこその「フォト・デッサン」だった。カメラを通したリアリティーを否定するような、感光紙を直接の画布とする「フォト・デッサン」だった。
それに、そもそも瑛九にはシュルレアリスト的な「謎」が似合わない。今回出品される落款と印章のある色紙の作品が示すように、「フォト・デッサン」の時期の直後、長谷川三郎や久保貞次郎との交友するなかで、東洋的なものに傾斜した時期に、瑛九は岡田式静座にも凝り、精神修養に励んだようだ。だが、それでも瑛九は錯乱や狂気にぎりぎりまで踏み込むというよりも、どこまでも自覚的、理知的でありたいと願うタイプであった。
瑛九のエッチングにみられるエロスのイメージは、繊細にして精妙な内面世界を踏査するシュルレアリストというよりも、もっと剛胆にして乾いたエロスの作家たちを想起させる。たとえば、ドイツのダダイストで、後にアメリカでも活動したジョージ・グロッス、あるいはニューヨーク・ダダであり、シュルレアリスムに対して独自の立場をとったフランシス・ピカビアである。いずれもが、瑛九作品にみられるように、多かれ少なかれ、画像を重層させる技法を駆使して、エロスのイメージを増幅している。グロッスは初期の画集において、そしてピカビアは1920年代末のいわゆる「透明」の時代の作品において、ときにはあざといまでのエロスを表現している。
今回出品される版画作品においても、たとえば《愛する二人》《庭園》《音楽》《ドンファン》などは、瑛九におけるエロスの表現の好例といえよう。題名からもうかがえることであるが、瑛九のエロスは、和やかで、人間的な、親密な空間を前提としていて、野放図にも、暴力的にもみえない。まして、猥褻な描写とは縁がない。おそらくこの場合、もっとも重要な要素はエッチングによる、情緒性のない線を主体とした、黒白の画面ではないだろうか。瑛九は色彩表現の手段として、油彩のほかに、石版画(リトグラフィー)の技法を用いることができたはずである。だから、もしその意志さえあるならば、石版で「エロチック」な作に挑むことが可能であった。
ところが、瑛九はむしろ油彩に近いメディアとして石版画を用いていたようにみえる。今回出品される《シルク》や《森の影》にしてもそうである。絵柄はむしろ同時期の油彩とかわらない。
本来、油彩はモノクロの世界とは断絶している。モノクロームで描く油彩もあるが、あくまでも可能性としての多色を前提としての表現である。瑛九においては、白黒の世界がエロスの表現に禁欲的な緊張感を与えているといえば、冒頭で述べたことを覆してしまい、ふたたび生真面目な瑛九像を描き出すことになってしまうのだろうか。
ここで、今回展示される銅版画集が池田満寿夫による刷りであることを強調したい。瑛九と池田の関係はきわめて微妙なところがあったことが池田自身の回想から想像される。なにかと表面上は反りの合わない二人であったようであるが、しかし、こうしたエロスの表現では、仲良くというのだろうか、ひとつにくくることができる。おまけに、池田満寿夫は文学にまで進出して、1977年小説「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞している。翌年にはそれを自ら映画化している。この作品もまたエロティシズム抜きにしては味読できないものだ。
とすれば、今回展示されるエッチング作品群は、最高の刷師によるコラボレーション作品ということになる。瑛九芸術、とりわけそのエロスの世界を味わうには、これ以上求められないキャスティングといえるのではないだろうか。
(おむか・としはる 筑波大学芸術学系助教授)
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