財団法人 大川美術館     OKAWA MUSEUM of ART, KIRYU

[ Home ] [ Up ] [ 作品を見る ] [ 蓊助・遺作展への序 ] [ 館長より ] [ 出品目録 ]
[ Home ] [ Up ]

 【『ガス燈』第52号(2002年4月)より】

島崎蓊助との出会い
―蓊助・遺作展への序―
春 原 史 寛

 画家・島崎蓊助。その名を知る人は、その周辺にいた人を除いては、実はそれほど多くはないのではないか。その画家の作品が当館に持ち込まれたのは昨年の夏の終わりであった。

セピア一色で描かれた画面。日本人であるのに日本人らしくもない画面。そうかといって、日本以外の芸術家の作品らしくもない。ただ、その画面から不思議な感覚を受けたことだけは確かである。その後彼の展覧会を当館で開催することが決定した。その出会いから半年の時間を経て、幾ばくかの調査を加えた今日では、その感覚が何なのかようやく掴めつつある。

島崎蓊助は藤村の三男として生まれ、2歳の時、母の死に会い、父の手によって木曽の、藤村の姉のもとに預けられ、10年をそこで過ごした。藤村の自伝的小説『嵐』(大正15年『改造』に発表)には、少年時代の蓊助が「三郎」として登場しているが、その『嵐』の中で「十年他へ行っていたものは、とうさんの家へ帰って来るまでに、どうしたってまた十年はかかる」という言葉が藤村自身から出ていることからも分かるように、この10年が、そして父との、さらには後に述べる兄との関係が、蓊助の生涯に、つまりは芸術に、大きく力を及ぼしてくることはたやすくうかがえる。このようなきっかけもあり、蓊助へと迫る探求は、まずその原点であろう父・藤村に向けてみた。

長野県と岐阜との県境、木曽郡に藤村記念館がある(この記念館の第3文庫の設計、資料整理の陣頭指揮に立ったのは蓊助自身なのである)。冬を迎える前にと、訪れたここで、私が得られた最大の成果は、藤村との関係を確認できたと共に、木曽の実に「深い」自然を身をもって知ることが出来たということである。幼い蓊助が、そして藤村がこの地で過ごしたということ。その証しは晩年までその芸術の中に決して消えることのなかったはずだ。

10年を経て東京の父のもとに戻った蓊助は、兄・鶏二と共に川端画学校に通うようになる。しかしその道は、実直な画家の道を歩む兄とは大きく異なっていた。当時ドイツから帰国した村山知義を中心としたマヴォに傾倒した蓊助は、プロレタリア美術運動へと接近して行く。柳瀬正夢や中野重治らと出会い、勝本清一郎と共にソ連を経由してベルリンを目指す。そこでは千田是也らとともに一層左翼運動に沈み込んで行くのである。だがナチスの台頭に阻まれ帰国を決意する。1933年帰国。

1944年、蓊助は再び日本を離れる。陸軍報道班員として中国に渡ったのであった。そこで前線部隊に同行し、戦禍を、そして人々をスケッチし、さらには現地に壁画を描いた。敗戦を迎えて帰国後は、藤村全集の編集に奔走、そして後数十年を「描かざる画家」として過ごす。
この中国行きを通して、詩人・草野心平、そして親友となる会田綱雄を知ることになる。後に、草野らの詩の団体「歴程」に蓊助も大きく関わることになる。

次なる蓊助の生涯を追う調査は、「歴程」の詩人・宗左近氏を訪ねることとした。蓊助は1971年、生涯唯一といってもよい個展を、日本橋・柳屋画廊にて開催している。この個展に展示されたのが冒頭に述べたセピアの作品である。宗氏は、この個展開催に中心的な役割を果たしている。さらには、蓊助が、「歴程」内において裏方のスポンサー的存在であったことをご教授頂いた(この詳細については、本展カタログに掲載予定の宗左近氏のご寄稿文をご覧頂きたい)。
蓊助について一通り聞き取りした後、宗氏は図らずも縄文について語って下さった。縄文土器について、そして「縄文の発見者」である岡本太郎についても(岡本については私は個人的に大学時代《太陽の塔》を追っていたので非常に興味深かった)。しかし、蓊助の中にも一部分に「縄文」がた確かにあったと考えている。

今手元に、蓊助自身が「ノオト」と名付けた約160冊の大学ノートに書かれた日記、そして未刊行の手記の原稿がある。その芸術を読み解く心強い手掛かりである。今書いた、川端画学校、プロレタリア美術、報道班員、そして藤村についても本展のカタログでは、この「ノオト」と手記についても、論文中への引用という形でお目にかけたいと考えている。この寡作の画家の「描かざる」部分がここに凝集されているはずだからだ。ちなみに「縄文」についてもこの蓊助の「ノオト」の中で多くのページを割いて考察が加えられている。さらには岡本太郎の縄文論についてもだ。

その後もご子息・爽助氏をはじめとして、多くの方に貴重なお話をうかがうことが出来、ようやくに、蓊助の画面に在りながらも見えなかったものが見えてきたように思う。そのプロローグの断片を今回紹介しようと考えたが、残念ながら紙片がつきてしまった。あとは実際に作品をご覧になって頂きたい。本展の開催まであと2ヶ月。その凄い芸術の一つ一つの詳細を解き明かすには時間があまりにも不足している。したがって本展を、まずは蓊助の人生の全体像を描ける展観とし、あのセピア色から受けた「感覚」を明らかにしてみたい。今後も島崎蓊助は、当館における松本竣介と並んで、じっくりと深く探求すべき画家であると考えている。 (当館学芸員)


※「描かざる画家 島崎蓊助 遺作展」は6月5日〜9月29日に開催します。

財団法人 大川美術館

〒376-0043 群馬県桐生市小曽根町3-69(水道山中腹) 
Tel:0277-46-3300 Fax:0277-46-3350
okawa-m@theia.ocn.ne.jp

開館時間:10:00〜17:30(入館は17:00まで) 
休館日:毎月曜日(月曜祝日の場合は火曜日)、年末年始
入館料:一般1000円、高大生600円、小中生300円
駐車場:水道山公園駐車場(無料)