| 西暦 |
年齢 |
事項 |
| 1913年 |
― |
4月5日、スペイン・バルセロナに生まれる。母マリア・サン・マルティは髪結いとして生計を立てていた。 |
| 1926年 |
13歳 |
10月頃、家族を扶養するために織物工場に事務員として勤務すると同時に、バルセロナの美術学校・夜間過程に通う。 |
| 1927年 |
14歳 |
この頃、家屋塗装工見習の仕事を紹介され務める。刷毛の用い方、レタリングの技術を習得する。 |
| 1930年 |
17歳 |
この頃、週刊誌に挿絵を描く。広告用ポスターを描き始める。 |
| 1932年 |
19歳 |
この年、美術学校を辞める。バルセロナ貯蓄銀行主催のポスター・コンクールで二等賞を受賞し、塗装工の仕事を辞める。映画館の看板装飾の仕事を手掛ける。子供新聞に寄稿、宣伝用ポスターを描く。友人の画家・サルヴァドール・オルチガと新しいマチエールを探求、アヴァンギャルドの画家が実験的に使用した素材(コラージュ、縄、布、新聞紙など)を広告・装飾作品に使用する。 |
| 1935年 |
22歳 |
この頃、ポスターと装飾の仕事が忙しく、絵画制作の時間がわずかとなる。 |
| 1937年 |
24歳 |
この年、1936年7月に勃発したスペイン内乱に伴い、カタロニアに接するアラゴン戦線に出征、共和国政府の二等兵として歩兵中隊に配属される。 |
| 1938年 |
25歳 |
この年、友人のマルティ・バスと共にバルセロナで陸軍関係の劇場の装飾と舞台装置を手掛ける。 |
| 1939年 |
26歳 |
1月末、フランコ軍がバルセロナを占拠する。スペイン共和国軍の生存者と共にフランスに亡命する。国境付近のプラ・ド・モロ、次いでペルピニャンの収容所に収容されるも、ペルピニャンの画家・マルタン・ヴィヴの仲介により、1ヶ月後に解放される。収容所で描いたデッサン・グワッシュ・墨の作品をペルピニャンの喫茶店「メゾン・ヴィヴァン」で展示、40点全てが売れる。4月5日、パリに着く。児童出版社のために続き漫画を描く。6〜7月頃、初めてリトグラフを制作する。この頃、それまで複製画でしか見られなかった、セザンヌら巨匠たちの作品を見て激しい衝撃を受ける。 |
| 1940年 |
27歳 |
4月、書店「オー・サン・パレイユ」で展覧会を開催するも一銭にもならない。6月、ドイツ軍がパリに入城する。ヴェネズエラに行こうとしてパリを発つが、マルセイユでドイツ機甲師団に道を遮られて引き返す。 |
| 1941年 |
28歳 |
この年、パリ・モンパルナスのボアソナード街45番のアトリエに居を構える(隣には猪熊弦一郎が戦前暮らしていたアトリエがあった)。 |
| 1942年 |
29歳 |
3月20日、息子ジャック誕生。この年、友人のマルチ・バス、ボスク、グロー・サラと共にパリでの初めての展覧会(カステリュチョ画廊)を開催。 |
|
1944年 |
31歳 |
8月25日、パリが解放され、同日グラン・ゾーギュスタン通りのピカソの自宅を訪ねる。 |
| 1945年 |
32歳 |
この年、プロスペル・メリメ著『カルメン』の挿絵を担当する。 |
| 1946年 |
33歳 |
この年、プラハで「スペイン人画家展」が開催され、この折りにピカソらとチェコ・スロヴァキアを旅行する。 |
| 1947年 |
34歳 |
この頃、ロンドンへ旅行する。ゴッホの油彩《向日葵》を見て深く感動する。 |
| 1948年 |
35歳 |
この年、ヴォルテール著『カンディード』の挿絵を担当する。 |
| 1949年 |
36歳 |
この年、ロラン・プチ・パリ・バレーの「カルメン」の舞台装置・衣裳を担当する。 |
| 1950年 |
37歳 |
この年、プロヴァンス愛書家協会の依頼により、ラブレー著『ガルガンチュア物語』挿絵のための原画を描き始める。この作品を機に、クラベの関心は「中世」に向い、自らの新しい主題とする。 |
| 1951年 |
38歳 |
2月、第3回日本アンデパンダン展(東京都美術館)に《白い椅子》を出品する。2月、「サロン・ド・メイ(東京展)」(東京・日本橋高島屋)に出品する。10月〜1955年6月、『ガルガンチュア物語』挿絵のために石版画を制作する。この年、パリ作品劇場のために、フェデリコ・ガルシア・ロルカ「ベルナルダ・アルバの家」の舞台装置・コスチュームを担当する。シカゴ、ルース・ページ・バレーの「復讐」の舞台装置・衣裳を担当する。 |
| 1952年 |
39歳 |
この年、アメリカを旅行する。フェデリコ・ガルシア・ロルカ「ドン・ペルリンプリン」の舞台装置・衣裳を担当する。エクス・アン・プロヴァンス・フェスティヴァルのために、モーツアルト「フィガロの結婚」の舞台装置・衣裳を担当する。 |
| 1953年 |
40歳 |
この年、ロラン・プチ・パリ・バレーの「24時間の服喪」の舞台装置を担当する。この頃、ようやく絵画作品が売れるようになる。 |
| 1954年 |
41歳 |
この年、絵に全力を傾けるため、本の挿絵と舞台装飾の仕事を控えることを決意する。 |
| 1956年 |
43歳 |
6月、『ガルガンチュア物語』の挿絵版画制作を終え、この作品に着想を得た「王様」「王妃」「戦士」の連作を描き始める。第28回ヴェネチア国際ビエンナーレでユネスコ賞を獲得する。 |
| 1957年 |
44歳 |
6月、第1回東京国際版画ビエンナーレでブリヂストン美術館賞受賞。この年、タピスリー上に絵を描くようになる。絵画展(ビルバオ・近代美術館)開催。 |
| 1960年 |
47歳 |
この頃、鉛板への型押、浮彫、彫刻作品を制作。絵画展(アンチーブ・ピカソ美術館)開催。 |
| 1961年 |
48歳 |
この年、「絵画の25年」展(ジュネーブ・ラート美術館)開催。 |
| 1962年 |
49歳 |
9月、第1回国際形象展(東京・日本橋三越本店)に招待出品。以後、国際形象展には、1986年の第25回(最終回)まで毎年連続して出品を続ける。 |
| 1963年 |
50歳 |
この年、初めてタピスリー、アッサンブラージュを制作。 |
| 1964年 |
51歳 |
この年、タピスリー・アッサンブラージュ展(ビルバオ・近代美術館)開催。大型の絵とリトグラフの連作《ドメニコス・テオトコプーロス頌》を企画。 |
| 1965年 |
52歳 |
この年、南フランス・ミディ地方の地中海に面した港街サン・トロペに移住。 |
| 1966年 |
53歳 |
この年、初めてエッチング作品を制作。 |
| 1967年 |
54歳 |
この年、タピスリー・アッサンブラージュ、油彩・彫刻展(アンチーブ・ピカソ美術館)開催。友人アンリ・ゴエツの創出した「カーボランダム技法」(カーボランダム:珪素化合物からなる産業用の硬質な化合物を、ボンドで支持体に接着して版を作成する)を用いて版画を制作。 |
| 1969年 |
56歳 |
9月16日〜10月16日、「クラーベ展」(東京・吉井画廊)開催。 |
| 1972年 |
59歳 |
この年、日本を旅行する。11月2日〜21日、「スペインの情熱と色彩
クラーベ展」(東京・銀座松坂屋)開催。 |
| 1973年 |
60歳 |
1月10日〜30日、「スペインの情熱と色彩 クラーベ展」(大阪・梅田近代美術館)開催。この年、「1951年〜1973年の版画作品展」(テルアビブ美術館)開催。 |
| 1978年 |
65歳 |
2月〜3月、「絵画の枠を越えて」展(パリ・ポンピドゥー・センター、国立近代美術館)開催。5月〜8月、「1958年〜1978年の絵」展(パリ市近代美術館)開催。この年、絵画展(ルクセンブルク・美術歴史博物館)開催。 |
| 1979年 |
66歳 |
この年、絵画展(コルマール・ウンテルリンデン美術館)開催。 |
| 1980年 |
67歳 |
2月15日〜3月15日、「アントニ・クラーベ展」(東京・吉井画廊)開催。40点余の作品を出品する。 |
| 1981年 |
68歳 |
この年、絵画、彫刻展(マドリード・国立図書館)開催。絵画、彫刻、オブジェ展(トゥールーズ・オーギュスタン美術館)開催。 |
| 1982年 |
69歳 |
この年、絵画、彫刻展(バレンシア・美術博物館)開催。 |
| 1984年 |
71歳 |
この年、ベニス・ビエンナーレのスペイン館に1958年から1984年までの125点の作品を展示。版画展(マドリード・現代美術館)開催。 |
| 1985年 |
72歳 |
8月、油彩・彫刻展(京都・カジカワ美術資料室ホール)開催。この年、版画展(ハバナ・美術博物館)開催。絵画、彫刻、オブジェ展(ペルピニャン・リゴー美術館、カステイエ美術館)開催。「ドン・パブロに捧ぐ―オマージュ・ア・ピカソ展」(アンチーブ・ピカソ美術館)開催。 |
| 1986年 |
73歳 |
4月27日〜6月30日、「アントニ・クラベ展」(東京都庭園美術館)開催。7月8日〜8月10日、同展が山梨・清春白樺美術館へ巡回。7月10日〜8月10日、「アントニ・クラーヴェ展」(大阪・国立国際美術館)開催。8月13日〜9月10日、「アントニ・クラーベ展」(神奈川・箱根彫刻の森美術館)開催。 |
| 1989年 |
76歳 |
2月〜3月、彫刻展(バルセロナ・パウロ・ド・ラ・ヴィレナ)開催。3月〜4月、絵画、版画展(ブダペスト・トルテネティ美術館)開催。9月12日〜10月12日、「アントニ・クラベ彫刻展」(東京・吉井画廊)開催。 |
| 2003年 |
90歳 |
4月1日〜6月29日、「アントニ・クラベ『ガルガンチュア物語』」展(群馬・大川美術館)開催。 |