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野田英夫は1908年日系アメリカ人の子としてカリフォルニアに生まれました。幼年時代
を両親から離れ、父の故郷・熊本で過ごしました。18歳で再び渡米。カリフォルニア美術 専門学校に入学、国吉康雄、清水登之と知り合い、リベラの下で壁画制作の助手を務める など活躍しました。1934年に来日して日米の多くの画家と交流し「帰路」(東京国立近代 美術館蔵)、「都会」(当館蔵)を発表。日本の美術界に新風を送り込みました。特に 松本竣介への影響はよく知られています。
1938年脳腫瘍となり、開かぬまぶたをバンソウ膏で押さえカンヴァスに向かいましたが、
翌年一月にわずか30歳の若さで逝去しました。
国吉康雄は1889年岡山市に生まれ、1906年17歳で渡米しました。ホテルボーイや果
物摘みで生計をたてる暮しのなかで、次第に画家の道を志すようになり、1910年、ロサン ゼルスからニューヨークへと旅立ちました。1916年には、アート・スチューデンツ・リーグ に入学。その後、苦学を重ね、日本にはほとんど帰ることなく活躍しました。晩年にはアメ リカ美術家組合の初代会長となり「アメリカを代表する画家」として数々の栄誉に輝きまし た。
また、野田英夫や清水登之、北川民次、石垣栄太郎ら渡米日本人画家の中でも中心的存
在として活躍しました。国吉が生きた時代は、日本人移民排斥、大恐慌、第二次世界大 戦と、アメリカ社会の激動の時代のなかにありました。望み続けながらもアメリカ国籍を得 られず、最後まで祖国喪失の苦しみを味わいました。アメリカと日本の間でさすらい続けた 国吉の孤独感は、郷愁を誘うメランコリックな画面のなかに投影されています。
清水登之は1887年、下都賀郡国府村大塚(現在の栃木市大塚)に生まれました。
1907年、単身渡米し、はじめシアトルでタダマ・フォッコ画塾に学び、1917年からはニュ ーヨーク、アート・スチューデンツ・リーグにおいてジョン・スローンをはじめとする「ア メリカン・シーン」の画家たちと交友しました。彼らとの交流のなかで市井の人々の暮らし を主題とする独自のまなざしを見出します。1924年にはフランスに渡り精力的な発表を展 開、高い評価を受けることとなりました。
20年に及ぶ外国生活を経て帰国後は、独立美術協会の創立に参加、中心的なメンバー
として活躍しました。郷土の風土や農民の姿などを描く一方、旅もよくし、中国各地や東南 アジアに赴いています。1930年代から40年代にかけては従軍画家として戦地に赴きます が、いわゆるリアリスティックな戦争記録画とは趣を異とする独創的な作品を描いていま す。終戦の年、一人息子の戦死の報を受けた登之は、その半年後、急性白血病により逝 去しました。
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