|
カッコソウの学名「プリムラ・キソアナ」が初めて世に出たのは、いまからちょうど130年前、1867年のことだ。『日本植物誌』の共著者だった植物学者ツッカリーニが48年に死去、シーボルト自身も66年に他界して、その仕事を受け継いだフリードリッヒ・アントン・ウィルヘルム・ミケル(1811−1871年)によって命名されたのである。 ライデン国立植物標本館の第二代館長をつとめていたミケルは、実に入念な調査を行った。そして同館の年報に執筆した「日本植物試論」において、プリムラ属は四種が記載された。そのうちの二種、カッコソウとオオサクラソウを新種として、彼が命名している。「プリムラ・キソアナ」と「プリムラ・エゾアナ」であり、これは国際命名規約の確立後も有効だ。その基準標本(タイプ)が、シーボルトが持ち帰った標本なのである。
ミケルの別の労作、70年出版の「目録」も、後世の研究者をずいぶん助けている。それぞれの種ごとに、シーボルトやその協力者である伊藤圭介、水谷助六、ビュルゲル、そしてマキシモーヴィッチらの標本がいくつあるかがリストアップされているのだ。ここでは「キソアナ」はK(圭介)1のみとなっているが、前述したように、これは助六標本であることが判明した。しかしたった一つであることには、変わりなかった。 130年を経て、400万といわれる膨大な数の標本のうちわずか一つを探求して、日本からきた記者がいた。カルクマン教授もコフマン女史も、それを不思議がった。「木曽の産となっているけれども、かつて木曽にカッコソウが自生していたという記録はなく、いまではわがまちの鳴神山が地球上で唯一の自生地なのです。それが『絶滅危急種』になってしまっています。 標本は多くの人に守られて、こうしてここに大切に保管されているというのに……」。説明せざるを得なかった。
カッコソウ保存会(朝倉陽一代表)によって、新しいプロジェクトをすすめることになった。新しいカッコソウの標本を、ライデン国立植物標本館に贈ろうというものだ。いま、まさに開花期を迎えた鳴神山中の自生地から、国際的な学問研究の一助として、二つ目の標本を届けるのだ。幸いにして設備の行き届いた新しい標本庫は、まだ十分余裕がある……。 最近ではDNA分析などの手法を活用した研究も行われるようになっている。二つあれば比較研究できるのであり、これからの学問の進歩にとっても、標本は重要であろう。もちろん、自生を絶滅させるようなことがあってはならない。 「桐生タイムス掲載」
|