<第18話・天神町二丁目>
地名「おんだし」の由来
山押し出しが変化ユニークな別説も
歴史に残る桐生の屈指の大火といえば、やはり天保十四年(1843)の荒神(こうじん)の大火が挙げられるでしょう。この大火の火元となった荒神山を地元の人々は「ボンゼン山」と呼んでいます。今でも山頂に梵天(ぼんてん)が飾られる山ですので、その梵天がなまっての名称ではないかと、推測されているところです。
(写真は愛宕山の全景です)
そのボンゼン山が、いつのころかコツゼンと動き出して、東武バスの天神町終点付近までもせりだしました。そして、一つの山を形成して止まったという話が、昔から地元に伝承されています。現在の愛宕山(あたごやま)形成の伝承です。このボンゼン山押し出し現象から、やがて、その近辺に「おしだし」の地名が生まれました。そして、それが「おんだし」という愛称に変化して、天神町二丁目地内に息づくようになり、今も人々に親しまれているのです。ところが、「『おんだし』の地名の由来は、こっちが本物だい。」と、言わんばかりに、大変ユニークな別説が、もう一つ、この地に語り伝えられているのです。
天神町二丁目は、東に清流・桐生川があり、近くを豊かな水が流れ、西には緑の美しい山々が迫る、素晴らしい自然環境にあります。その上、人情味のある人々の集まりに恵まれた地域です。時代が移り変わっても、これだけは、今も昔も変わりがありません。人情味の深い地域…… これは、天神町二丁目の誇りなのです。
(写真は愛宕山の山門入り口のお地蔵様です。)
それなのに、どうしたわけか、いっ時ではありましたが、この「おんだし」を離れ、他の土地へ移り住んでしまう人が、あとを絶たない時代がありました。「『おんだし』に嫌気がさしてしまって……。」と、言う人は一人としてありませんでした。それなのに転居が続いたのです。「仕事に都合なので、やむを得ないんですよね。」と、いうのがほとんどの家の転居の理由でした。
それはそれとして、ただ一つ、だれの目にも「不思議だなあ。」と感じられることがありました。それは、去っていく家の生活状態が、「あそこの家、なんだか、ゆとりができてきたみたいだね。」と、写ることでした。
そのため、「お宅、このごろ、だいぶ景気が良さそうね。ひょっとすると……。」「あなたのところ、近々お引っ越し? だいぶ余裕がでてきたって、近所じゃもっぱらの評判よ。」といった座興が、お茶飲み話に飛び出して、笑い合うことさえありました。
(写真は愛宕山の山門入り口のお地蔵様です)
ですから、「お金がたまると引っ越しだなんて、まるで、おんだされるみたいだね。」と、他地区の人々がささやくようなときには、「そういうのなら、家もおんだされてみたいですよ。お金って、たまらんものですからねえ。」と、「おんだし」の人々は、そのささやきやうわさを、愉快そうに笑い飛ばしちゃうのでした。
お金がたまると、土地からおんだされるという、天神町二丁目の地名の愛称伝承……。 なかなか楽しい伝承です。それだけに、この伝承が愛宕山形成伝説とともに、これからも長く長く語り伝られていってほしいものです。

<愛宕山(あたごやま)>
愛宕山は「ボンゼン山から押し出されて形成された」といわれているだけに、わりあい低い山だが、山全体が岩石で「おんだし」伝承が生まれるのも、「なるほどな」と、うなづける。南側山麓の登山口には覆い屋があり、地蔵石仏、庚申塔などが祀られている。
◆道案内◆東武バス天神町終点で下車すると、北側にコンモリと盛りあがった低い山が見える。そこが愛宕山である。梅田町方面へ少し歩いて左折し、30メートルも行くと南側登山口である。夏は木立が繁茂して、登山しにくいことを承知しておきたい。 (写真は愛宕山の遠景です)
写真撮影・文章打ち込み・木村 光一