<第17話・本町六丁目>
浄運寺観音像縁起
秩父→古河→桐生へと夢のお告げと遺言とで
桐生市の中心地・本町六丁目の一角に、田中山浄運寺(浄土宗、本尊・阿弥陀如来像)という、とても立派なお寺が見られます。市街地には珍しい広大な寺域を
する寺院で、一歩境内に足を入れますと、もう市街地の騒音などは全く聞こえなくなり、雑念をしばし忘れさせてくれます。
(写真は浄運寺の本堂です)
この浄運寺は、天正七年(1579)、織田信長公の命によって開かれた近江国(滋賀県)安土城下の浄巌院における宗論(しゅうろん)で、日蓮宗の僧侶を説破し、法名を一躍世に馳せた玉念(ぎょくねん)上人が、永禄元年(1558)に開創された寺として世間に知れ渡っています。
浄運寺には、この宗論の成果を示す「安土宗論記録(桐生市指定重要文化財)」が、いまなお大切に保護されているのをはじめとし、谷文晁・酒井抱一の作品(ともに群馬県指定重要文化財)等々、多くの寺宝が保有されています。
それらの寺宝のひとつに、平安期作の古仏・木彫聖観音像があり、浄運寺の荘厳で雄大な山門近くの観音堂内に大切にお祀りされています。この観音像は、制作された年代が大変に古いというだけではなくて、もとは下総国(千葉県)古河城主・本田公の奥方さまの護持仏だったという、歴史的にもなかなか素晴らしい由緒をもった像なのです。
その像が、どういうわけで、ここ浄運寺にお祀りされるようになったのでしょうか。
それは……
(写真は浄運寺の山門です。ここからは入れません。)
本田公の奥方さまは、生来とても体の弱い方でした。その奥方さまにある年のこと、懐妊の兆しがみられたのです。奥方さまが本田公のもとに嫁いで来られて以来、とにかく初めての懐妊でしたので、本田公は大変お喜びになられました。でも、その反面、大きな不安も同時にお持ちになられました。それは、病弱な奥方さまの体が、「出産という大役に耐えられるのだろうか」という、何とも言いようのない不安でした。
奥方さま自身も、「わらわも、これで正真正銘の本田家の奥(妻)になれる。」と、懐妊を喜びながらも、やはり、自身の病弱のことが気がかりで、眠れない夜が多くなりました。
しかし、「いくら、わらわが心配をしたからとて、どうなるものでもありますまい。ここは日ごろ信心している観音様のお慈悲におすがりするよりしかたがないであろう。」と、心を決められ、近くのお寺に詣でることにしました。「病弱なわらわにも、なにとぞなにとぞ、お慈悲を!安らかに子供を産ませ給え。」と、17日間の安産祈願を必死にお続けになられました。
やがて満願の日になりました。奥方様の必死の祈願・真心が観音様に通じたのでしょう。その満願の夜、ふしぎな霊験があらわれました。奥方様の夢枕に一人の老婆が立たれたのです。
その老婆は、厳かに、「われは、秩父の里に縁づきて、衆生済度
ために今は本郷大仏師・右京の家に在り。汝、安産を願うならば、われを懇ろに迎え館の内に置くべし。われは聖観世音菩薩なり。」と、お告げになられ、姿を消されたのです。
(写真は観音堂の案内・入り口です)
夢のお告げのあった観音様は、翌日、仏師・右京のもと出向いた家臣たちに手によって、直ちに秩父から本田公の館の内に安置されました。奥方さまは、身近にお迎えした観音さまに、「なにとぞ、ご加護を……。」と、朝な夕なに手を合わせ、祈願を重ねました。
月満ちて、いよいよ奥方さまの出産の日となりました。心配された十月十日(とつきとうか)でしたが、その間が無事に過ごせただけでなく、出産そのものも、本田公や奥方さまの願いどおりの安産が得られました。しかも、産後のひだちも素晴らしくよくて、奥方さまは、生来の病弱が、まるで夢だったかのようについえ去り、その後の健康までもが得られたのです。
奥方さまは、観音様のご利益によって得られた健康のお陰で、以来、日々恵まれた生涯を送ることができ、大変な長寿を全うされました。が、さすがに寄る年波にはかてずに、晩年は床の中で過ごすことが多くなりました。そんなある日のこと、奥方さまは、いよいよこの世に別れを告げるときが近付いたことを知りました。そこで奥方さまは、日ごろとても目をかけておられた老女を枕元に招いて、今後のことをこまごまと頼みました。
(写真は観音堂の1階の観音様です)
その上で、「わらわの命は、今日限りなり。わらわ亡きあとは、上野国桐生の浄運寺に観音様を安置し奉れ。そなたは観音様の供をして桐生に参り、剃髪(ていはつ・髪をそり落とすこと)し、観音様を末永くご守護せよ。」と、遺言しました。
奥方さまが、世を去られますと、間もなくして観音様は桐生・浄運寺に安置されました。すると、それを待っていたかのように、安産祈願の人々が、近隣からドッとお参りするようになりました。古河での観音様のあらたかな霊験は、すでに遠い桐生の里にまでも聞こえていたのです。
それにしても、夢のお告げで秩父から古河へ移られ、そして、奥方さまの遺言によってはるか桐生の地にまでも移り来られた観音様。どこかで見えない糸によって結ばれていたような、不思議な縁(えにし)を強く感じさせます。奥方さまの遺言によって、これまた観音様と一緒に桐生へ来られた老女とは、浄運寺十世・光誉玉円和尚の養母となられた「栄寿尼」その人だったと伝えられています。

<浄運寺(じょううんじ)>
浄運寺は、浄土宗鎮西派で、永禄元年(1558)正月に霊誉玉念上人が開創。本文中の「老女」が養母という光誉玉円上人は元禄八年(1695)に入寂しているところから、観音像安置の年代が推定できよう。
◆道案内◆東武バス停「本町六丁目」下車。わずかばかり錦町方面へ進んで右折し、50メートル余りでさらに左折すると浄運寺である。本町通りに面して山門があるが、山門を通ることはできない。
写真撮影・文章打ち込み・木村 光一