津久原(梅田町5丁目)の猟師・甚左エ門さんは、素敵なおかみさんを嫁に迎え、貧しいながらも何ひとつ不足のない幸せな日々を送っていました。
でも、強いて不足なことを挙げれば、おかみさんを迎えて3年も経つというのに、子宝にまったく恵まれないということくらいでした。
「お前のお陰で、ワシらの暮らしは、有り難いくらいに幸せだよ。でもなあ、やっぱり子供がいないというのは、どこか寂しいもんだ。どうだね。近くの産土(うぶすな)さまにお願いして、一人でもいいから授けてもらおうじゃあないかねえ。」
「ほんに。じゃあ、二人してお願いしようかね。」
こんな話が進んで、「思ったが吉日」と、早速、夫婦そろって産土さまへの子授け祈願の日参が始められました。
長い長い日参が続けられたある日のことでした。おかみさんが、
「お前さん、なんだか体の調子がいつもと違うんみたいだよ。子供でも授かったのかねえ。」と言い出しました。
「ほんとかね。そうだといいが。」
おかみさんの言うのは事実でした。甚左エ門さん夫婦にやっと念願の子宝が授けられたのです。
甚左エ門さんは、そのことを知った日から、こんどは、産土様に、別のお願いの日参を始めました。
「どうぞ、丈夫な子供が生まれますように。」
と、言う祈願の日参でした。
その日参を重ねていたある冬の日のこと。甚左エ門さんは、産土さまと根本の神様のお二人が社の前の日だまりに腰をおろして、何やらヒソヒソと話し合っているところに出くわしました。
「産土さんよ。近ごろどこか元気がないようじゃが、体の具合でも悪いのかね。」
という根本の神様の問いかけから、お二人の神様がこんな話をしていたのです。
「いやぁ、体は大丈夫じゃが、実は困ったことをしてしまったのじゃよ。」
「困ったこと?」
「ああ。」
「どうしたのだね。」
「根本の神さんも、近くに住む猟師の甚左を知っているじゃろう。あの甚左が子供を欲しがってのう。ワタシにお願いに来たのじゃよ。しかも、夫婦そろって……。あまりにも熱心に日参するもんじゃから、先日、その願いをかなえてやったんじゃ。」
「甚左に?それはよいことをなされた。それなら、なにも困ることはなかろうに。」
「いやあ、それが実際には困ったことになってしまったのじゃ。」
「?。」
「実は……。甚左に授けた子じゃが、十三歳の春になると、川で生命を奪われる運命を背負って生まれてくることになっているんじゃよ。子供が生命を失うときの甚左夫婦の嘆きようを思うとな……。」
「………………。」
この神様たちの内緒話を木陰に潜んで、聞くとはなしに聞いてしまった甚左エ門さんは、ガク然としてしまいました。なんと、授けられた子供が、十三歳の春に川で生命を奪われる運命を背負って生まれてくるというのですから――――。
さすがの甚左エ門さんも、もう、仕事さえ手につかなくなってしまいました。でも、甚左エ門さんは、このことは、おかみさんにはまったく知らせず、ソッと自分だけの胸の中にしまい込んでしまいました。子供が授かり、前にも増して毎日を幸せそうにイソイソと働き続ける、おかみさんの心と体を安じたからでした。

やがて、月満ちて元気な赤ちゃんが生まれました。男の赤ちゃんでした。赤ちゃんは綱次郎と名付けられ、両親の愛を一身に受けてスクスクと育ちました。あまりにも順調な成育ぶりに、
その綱次郎が、十三歳を迎えたある日のことでした。
「おとう(父親のこと)。あしたは、友達と桐生川へ釣りに行ってくるよ。いいだろう。」
と言ってきたのです。
甚左エ門さんは、
「さては、あしたが産土様の言っておられた運命の日。」
と直感しました。そして、いっとき「釣りに行くのをやめさせよう」と思いました。が、「これが綱次郎のもって生まれた宿命なのだ。ならば、綱次郎の好きなようにさせてやろう。それが親心というもんだろう。」と、悲しい苦しい決心をしました。
翌日は、素晴らしい小春日和の静かで暖かな日でした。甚左エ門さんは、綱次郎の好物を整え、それに、夕べ村はずれまで出掛けて急いで買い求めてきた、綱次郎の大好物のアメ玉を一緒に持たせて、家から笑顔で送り出しました。
桐生川にやってきて、どのくらい「時」が経ったでしょうか。見よう見真似で釣りを続ける綱次郎のところへ、スタスタと近寄る一人の男の姿がありました。
男………実は、この日、綱次郎の生命を奪いにやってきた、桐生川の河童淵(カッパぶち)に住む河童の化身なのでした。それとは露知らぬ綱次郎は、父からもらったアメ玉を傍らに置いたまま、男の近付くのにも気づかないで、釣りに没頭していました。
綱次郎に近寄った河童は、すぐさま綱次郎に襲いかかろうと身構えました。が、一瞬、傍らのアメ玉を目ざとく見つけると、ポイッと一粒口にほおばりました。甘いものが大好きな河童だったのです。
「こりゃあ、うまい。」
河童は、アメ玉のあまりのうまさに心を奪われてしまいました。そして、次々とアメ玉を口にほうり込んでは、そのうまさに酔いしれていました。もう綱次郎を襲うことも、時の経つこともすっかり忘れてしまっていました。綱次郎が生命を落とすはずだったのは正午でした。その運命の時「正午」が、いつの間にやら過ぎ去ってしまいました。
「おとう、今帰ったよ。だめだった、今日は。魚は一匹も釣れなかったあ。」
太陽が西に傾き始めたころ、無事に帰って来た綱次郎の元気な声に、甚左エ門さんは、はだしのまま庭へと飛び出しました。
「まさか、綱次郎が無事に帰ってこようとは……。」
甚左エ門さんの目に、確かに元気な姿の綱次郎が飛び込んできました。甚左エ門さんは、もう夢見る心地でした。父が子のためにと村はずれまででかけて買い求めてきてあげたアメ玉が、見事に綱次郎の生命を救ったのでした。まさに父の愛が子供の生命を救ったのです。
以来、またまた甚左エ門さんの日参が始められました。今度は産土さまではなくて、行く先は河童淵でした。河童淵のほとりに、甚左エ門さんがアメ玉を毎日供えるようになったのです。
「綱次郎が、元気でこの世にいられるのも、アメ玉に心をうばわれ『時』の経つのを忘れてくれた河童さまのお陰だよ。あだやおろそかにはできねえよ。」
アメ玉に心を奪われたとはいえ、結果的には綱次郎の生命を救ってくれることになった河童に対し、心からの感謝をささげる甚左エ門さんのせめてものお礼心だったのでしょう。

《
河童淵(かっぱぶち)》
もとの梅北山の家の脇を更に少し先に行くと、桐生川上に「夢の萩橋」という細い橋が架かっているのが見られる。その橋の上流に見える淵が伝説の地「河童淵」である。かっては、見るからにものの怪が住んでいそうな淵だったそうだが、今はかなり日光も差し込んで明るくなっている。しかし、さすがに河童伝説の地という面影だけは残している。
付近にはカッパ神社もあり、加えて、いくつかの河童伝説が伝えられている。
◆交通◆KHCバス停「津久原橋」下車。そこから300メートルほど進むと、かっての「梅北山の家」が左側に見えて来る。