(第二話・梅田町一丁目)
沖田ン家の槍
副題 永住したい槍の願いか、他所に移ると奇妙な出来事が。
「この槍は、拙僧のところでもお預かりするわけにはいかんて。
なにしろ、寺が一日たりとも落ち着かんもんでな。昼間はともかく、夜中までも奇妙な音や騒ぎが絶えんのでは、ゆっくりと休む事もできん。
槍は沖田ン家(おきたんち)にいるのが、一番いいのとちがうかな。」
(写真が峯岸家所有の本物の槍です)
こう言って、西方寺(梅田町1丁目・臨済宗)の和尚さんも、つい先だって沖田ン家から預かったばかりの槍を戻しにやってきてしまいました。
沖田ン家とは、梅田町の旧家、峯岸家のことです。伝えによりますと戦国時代の昔、峯岸家は、桐生領主の愛妾「お北の方」が住まわれておられた館だったと言います。
桐生城(現在の桐生市指定史跡・梅原館跡)の真北の位置に館が存在していたところから名づけられた、愛妾の御名だったようで、その「御北」が「お北」にそしていつの頃からか「沖田」と文字を変えて、現代に伝えられてきたのです。
この由緒ある沖田ン家・峯岸家に先祖伝来の槍がありました。これがたいへん変わった槍で、村中のうわさの種となっていたのです。
旧家沖田ン家の家運にも浮き沈みがありました。時には、その日の生活にさえ大変困る事もありました。そんな時に、この槍が金子(きんす)に変えられたのです。
ところが、その槍を買い取った武具商が、三日もたたないうちに沖田ン家へ、「代金は返してくださらんでも結構。とにかく、この槍だけは何としても引き取ってもらいたい」と青い顔をして槍を戻しにやってきたのです。
「槍を買い取った夜から、一晩中恐ろしい唸り声はするわ、大きな音や気味の悪い音が絶え間なく続くので、生きたソラがなかった。こんな奇妙な槍は家へは置いとけない。売り物にもならん。」と言うのです。
沖田ン家では、これまでにそんな妙なできごとは、一度として持ち上がった事はありませんでした。
ですから「金に変えられた槍の怒りでは・・・。」とこわごわ槍を引き取りました。
が、その夜も次ぎの夜も、何ら変わったことは起こりませんでしたので、家人は、ただただ首をひねるばかりでした。
その後、その話を聞いた近くの五味田と言う御人が、一度、沖田ン家の槍を買い取りました。
ところが、またまた変事が持ち上がってしまい、武具商同様に突き返してきました。
そんなことから、沖田ン家では「これは、この世にとどまっているご先祖の霊が、この槍に宿っているのかもしれない。
西方寺に預かってもらい、懇ろに供養していただこう。」と西方寺お預けしたのですが・・・お寺さんでもやはり手に負えなかったようでした。

沖田ン家の槍は、それ以来、沖田ン家からは一歩も他所へ出されることはありませんでした。
同時に、あちこちで起きた奇妙なできごとも、プッツリと消え失せました。
きっと、西方寺の和尚さんが言われたように「沖田ン家に永住したい。」という槍の願いが、あちこちで奇妙なできごとを引き起こしてきたのかもしれません。
平成の時代を迎えた今もなお、沖田ン家で静かな余生を過ごしている「沖田ン家の槍」の、いかにも満足そうな声が私たちにも聞こえてきそう・・・。
そんな気さえしてくる楽しい伝事ではありませんか。

参考
○峯岸家(みねぎしけ)
「峯岸さんのお宅は、どの辺りですか。」と、お聞きするよりは「沖田ン家は?」とお聞きする方が地元の人々に早くお宅を教えて頂けるほどに、このあたりでは、峯岸家=沖田ン家というふうに、一体になってしまっている。本文中にも記述したように、それほどに梅田町の旧家であり名家でもる。現当主・康治氏は、先年まで桐生市議会議長の要職に就かれておられた方である。

◆交通◆KHCバス停「桐女前」で下車、200メートルほど戻った鳳仙寺入り口近く、現在は農業を営まれている。
清水義男氏著「河童とアメ玉」より転載 文章複写・写真撮影 小川広夫
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