重い棟木を一人で上棟・・・・江戸まで響いた大力
棟梁のテキパキした指図と、その指示のもとに、一心腐乱に作業を続ける大勢の大工さんたち……。西方寺本堂普請という、さすがの大工事も、この大工さんたちの熱心な働きによりトントン拍子に取り進んで、
「この分じゃあ、今日の昼過ぎは、棟上げだぞう。」
と、いうところまできました。
昼どきの休みが終わって、しばらく過ぎたころでした。
「よく働く人たちじゃ。この様子では、本堂も予定より早う仕上がるにちがいない。さぞ、ご本尊様もお喜びなさることじゃろう。どうりゃ、ひとつ、大工さんたちの労でもねぎろうてあげようかいな。」
和尚さんは、そうつぶやきながら、「また仕事の様子を見させてもらおう。」と、両の手を後ろに組んで、トコトコと工事の現場へ、向かいました。
が、現場近くまできたときに、和尚さんは、
「おやっ。」
といった顔つきで、その場に一瞬立ち止まられてしまいました。
先ほど現場を見たときの仕事ぶりからは、
「棟上げは、とうに終わっていることだろうのう。」
という和尚さんの予想が、見事に外れていたからでした。棟木があまりにも重過ぎて、上棟するどころか動かすことさえできずに、全身汗みどろになった大工さんたちが、悪戦苦闘の最中だったからでした。その様子は、まるで大きな菓子に群がるアリそのものでした。
それを見た和尚さんは、
「おやおや。なんとしたことじゃ。」
と思いながらも、大工さんたちの動きがどことなくこっけいなので、しばらくはニヤニヤしながら見詰めていました。でも、とうとうこらえきれなくなった和尚さんは、腹を抱えての大笑いを始めてしまいました。
ムッとして和尚さんを見上げる大工さんたちの顔々々を見ながら、和尚さんは、
「皆さん方、だいぶお困りのご様子じゃのう。どれどれ、わしが一丁加勢してあげようかいのう。」
と言って、傍らにあった草履を履いて庭に降り立ちました。そして、和尚さんは、その重い重い棟木をヒョイと肩にかつぐと、一人でサッサと上棟をしてしまいました。
ついさっきまで、何十人もの大工さんがとりかかっても、ピクリとも動かなかった重い棟木を、和尚さんがいとも簡単に一人で運び上げてしまったのです。この考えられないような和尚さんの行動と怪力には、さすがの荒くれ大工さんたちも度肝を抜かれて、しばし声が出せませんでした。
とにかく、和尚さんの助力のお陰で無事に本堂の上棟が済みました。そこで大工さんたちは、引き続いて屋根のカヤぶきの準備にかかりました。棟上げでの仕事の遅れを取り戻そうと、大工さんたちは、これまでにも増して仕事に精を出しました。トビ職さんたちも大きなカヤの束を背にしての長いはしごの上り下りに、一層まめまめしくせわしく働きました。
しばらくすると、またまた和尚さんが仕事の現場へやって来ました。和尚さんにとっても、工事の進行ぶりは少々気がかりだったのでしょうが、それ以上に現場を見物することが大変に楽しみだったのです。
その和尚さんが、カヤの束を背負って長いはしごの上り下りをしているトビ職さんたちを見て、なんと、またまた大笑いを始めてしまったのです。
一度ならず二度までも大笑いされてしまっては、たとえ和尚さんだとて、一生懸命に働いている仕事師たちにとっては、全く面白くありません。
「おっさん(和尚さん)よう。あんなにでっけえカヤの束を、あんなに高えところに運び上げるんだ。これしか方法がねえんですよう。」
トビ職さんたちは憤然として、和尚さんに食ってかかりました。
そのトビ職さんたちの怒りの顔が、和尚さんにとっては、かえって面白かったのでしょう。しばらくは、その怒りの顔を眺め回していましたが、今度は黙ってツカツカとカヤの束に近づくと、その大束をわしづかみにして、高い軒先きまでポイッ、ポイッ、ポイッと放り上げてしまったのです。憤満やる方なかったトビ職さんたちも、さすがにあっけにとられて、大工さんたち同様、二の句がつげませんでした。

普請工事の最中のこの二つの出来事は、たちまちに近隣の村々に伝えられましたので、和尚さんの怪力ぶりは近隣の大変な評判となりました。そして、それ以来、人々は和尚さんを畏敬の念を込めた「大力和尚さん」という愛称で呼ぶようになりました。
そればかりか、このことは、その後、日ごとに有名になり、やがて江戸の方にまでも伝えられていきました。そして「梅田の里に大力和尚あり」と、あちこちの評判にまでなったのでした。

【 西方寺(さいほうじ)】
梅田山西方寺は梅田町一丁目大門にあり、桐生氏の菩提寺として知られる。安定元年(一二二七)に、桐生小太郎藤原綱元公が浄土宗の寺として建立。応永五年(一三九八)に、第三代領主・桐生豊綱公が、済家宗に改宗し、桐生山西方寺と称した。後、宝樹山、梅田山と山号を改めて現在至っている。現在は、臨済宗建長寺派。本尊・阿弥陀如来像は、県指定の重要文化財である。
慶安二年(一六四九)に、三代将軍・家光公より十五石七斗の下賜があったが、維新の際に上知している。平成四年に高さ日本一の十三重塔(桐生塔)が建立されて、一層有名な寺院になってきている。
◆交通◆桐生ハイヤーセンター(以下、KHCと略記)バス停「大門」下車。およそ100メートル下っての十字路を右折し、そのまま直進すれば西方寺に到着できる。